きれいな光る箱ができたよ!
2016年 06月 05日
毎年6月に、湯河原で中谷恭子さんの講演会を企画している。中谷さんとは20年来の友人。亡くなった精神科医安克昌さんを偲ぶ会で出会い、彼女の精神医療への取り組みにめっちゃ共感。「す、すごい、この人と絶対に友だちになりたい!」と思った。
今回も、恭子ちゃんに2泊、我が家に泊まってもらい一緒に過ごした。そして、彼女の人間観察力、集中力の高さに圧倒された……。半日のワークショップに参加してもらったのだけれど、その間にどれくらい人間を観ているか。私だって観察力はあるほう、なんて思っていたのだけれど、激しいショックと驚き。人間に対する興味がケタ違いであることを痛感。ああ、なんて何も見ていないんだ!と、清々しいような敗北感。
「神経は小指の側から発達していくから、親指とひと指し指がうまく使えない子は言葉の発達も遅い。あの子は手先が不器用だったから言葉は単語くらいしか理解していない」とか、「漢字を鏡文字で書いていた」「周りを気にしてアンテナが立っていてよけいな情報を拾いがち」「裂けるチーズの感触は自分の口の大きさに合せられるので安心する」などなど、目からウロコのすさまじい発言を繰り返し、どの指摘も的確。
恭子ちゃんは人間が好きなんだ。人間に見惚れているんだなあ……と、今回、一緒にワークショップをやってみてつくづく思った。これからはもっと恭子ちゃんと一緒にワークをやりたい。友だちだから二人で過ごす時はダラダラ飲んでばかりいて、彼女の人間観察力を私が観察できていなかった。ほんとうにすごい人なんだと、自分の友だちの魅力を再発見。ますます恭子ちゃんを好きになったし、「この人はすごい!」と最初に思った私の直感は正しかったんだ。
もっとこの人のスキルをいろんな人に知らせたいなあ。彼女と一緒に仕事ができる若い人たちは幸せだ。こんな観察力、身近に感じることができるなんて、最高にクリエイティブ。観察力や注意力がまだ自分はこの程度か、と思えて幸せ。また明日から、初心に戻ってスタニスラフスキーのメソッドに取り組もう。がぜん、楽しくなってきた。優れた人と一緒に過ごす時間は素晴らしいね。
中津川浩章さんと一緒にワークショップが出来たことも、刺激的だった。あ、他の人はこんなふうにワークするのか、こういう課題を与えるのか。こう考えるのか。一つ一つが新鮮で、次はこうしてみようああしてみようと、どんどんアイデアがわいてきて、次の8月の子どもたちとのワークショップが待ち遠しくなってきた。
自分とは違うジャンルの人たちと共同でなにかをするのは、刺激的で、わくわくして、たまらなく楽しい。発見ばかり。こんなにいろんなことを教えてもらってありがたい。やっぱり人間こそ最上級のメディアで、人間からじかに学べることはいくつになっても無限にあり、学ぶ喜びは尽きることなく、生まれてきてよかったなーとしみじみ。みんなの力を借りてじぶんが学んでいるんだなあ。ありがたいなあ。
兵庫県から泊まりがけでやってきてワークショップと講演会に参加してくれたJYOさん。「楽しかった、サイコーでした!」とほんとうに感激してくれた様子。「また会いましょうね!」とお別れするとき、あれ、ずいぶんと身軽に去っていくなあ……と思ったのだけれど、後から置き去りにされたリュックを発見。これはJYOさんのでは? と思って連絡をすると、やっぱり荷物を持たずにもう駅まで行ってしまったとか。リュックを置きわすれるほど楽しんでくれたのか!と思うとうれしい。取りに戻って大変だったね。JYOさんは、私に「君は兵庫の山田スイッチだ!」と言われてきょとんとしていたけれど、友人のスイッチさんと似てるんだよ。だから、いつかスイッチさんと会わせたい。ぜったいに気が合うはず……、そう思っていたら、名前も聡子で一緒だった!これはもう出会うしかないね!
今回のワークショップで、中谷さんや、中津川さんと一緒にワークをして、興味があるから観察する。興味や関心って愛なんだ、と実感。人間が好きで、愛情をもっているから興味が生まれて、それで魅入ってしまう。やっぱり愛なんだよ、観察って。エゴじゃなくて、純粋な興味。マザー・テレサが「愛の反対は無関心」……のようなことを言ったと聞いたことがあるけれど、関心が愛だということを納得すると、マザーの言葉の意味が立体的になるなあって思った。実感をともなわない言葉や文章は平べったいけれど、言葉がいきなり立体になって手触りを感じる瞬間があって、そういうとき、なんかすごくしあわせだ。
すてきな二日間でした。みなさん、ありがとう!
田口ランディ