デコポン

この四月からА新聞に記者とし入社するという青年と会った。
人間は見たまんまだ、という人生経験におけるエビデンスを重視する私は、相手の顔を人間存在の価値の中心に置いてしまうのだが、その意味において青年は「純粋で良いひと」だった。通俗的な形容をすれば「きれいな目をした青年」だった。
 どうして記者になったのか、という質問しか、初対面の青年に対して思いつかない自分の凡庸さにうんざりしたが、まさか「ハムスターを飼っているか?」とか「君にとって天皇はどういう存在か?」などと聞くのも変だし、とりあえず当たり障りのないところで話題を振ってみたところ、穴を掘って埋まりたいくらいの模範解答が戻って来た。
学生時代に水俣に行って、胎児性水俣病の患者さんや親御さんたちと出会い、彼らの生き方に触れたことが職業選択のきっかけになったのだと言う。水俣に多少の縁のある私は、彼が出会った人々のことも知っていたから、彼の水俣における内的変容体験に対してある程度の想像力は発揮できたのだが、なにかしっくりこないのだった。
それはたぶん、年長者が若者に向って「そう簡単にわかってもらっては困る」的な、経験主義的上から目線なのだと、自覚はしているのだが、口うるさいおばさん的にななにかひと言付け加えなければ、この、ものすごく美談的な職業選択理由を受け入れたことになってしまう、と焦り、ごちゃごちゃと水俣病事件と呼ばれる現象世界の複雑怪奇さってすごいのよ、とごたくを並べてみたのだが、そもそも、なぜ彼の純粋な職業選択の理由を私が受け入れ拒否しているのか……。なぜ、私にとって彼の美談的職業選択理由が都合が悪いのか、よくわからなかった。
なんとなく、おせっかいな説教をした気分になって、ちょっと落ち込んだまま家に戻ってくると、偶然とはすごいもので、水俣の友人から「デコポン」が届いていたのである。水俣の「デコポン」はすごくおいしいので、私はうれしくなってさっそく、がつがつと食べながらダンボールに入っていた友人の手紙を読んだ。
この友人は水俣に住んでいるけれど、水俣病とはまったく関係ない。水俣市に住んでいる人がみんな水俣病に関心をもっているかといえばそうではなく、どちらかといえば市民のマジョリティは水俣病ってあんまりよく知らないし関わりたくもないと思っているのである。
 彼女は、私が水俣に行った時に小さな手芸店を開いていて、しかもだんなさんを若くして亡くして一軒家に一人で住んでいて、どういういきさつだったか忘れたけれどもなにか意気投合してご飯を食べ、彼女の家に泊めてもらったのだった。彼女と水俣病は遠く、彼女と私のつながりも水俣病ではなく、彼女に「あなたも水俣に住んでいるのだから水俣病に関心を持ちなさいよ」という気もなく、今年も「デコポン」を送ってもらって喜んでいるわけである。
手紙には「また水俣に来たら遊びに来てね!」と書いてあった。
遠慮があってレコーダーすら回せないという度胸のない私には、、きっと記者という仕事はできないと思う。それを職業としたことで失ってしまうものがあることを私は恐れていて、その恐れを青年に伝えたかったのかもしれない……と、デコポンを食べながら思った。気持ちを伝えるっていうのは難しいなあ。そもそも、自分がなにを伝えたいのかわからないことのほうが多いのだから……。
ごめんな、青年、がんばれよー。
by flammableskirt | 2014-03-02 17:33

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