原発事故から1年・いま、私が感じていること

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二月十八日、市民が中心になってこれからの南相馬について語りあおうという催し「ダイアログ南相馬」に参加してきました。半年ぶりにこの地を訪れて痛感したのは、予想していたよりずっと、現地と自分がずれていたということです。
 もちろん、福島は広いし、被災も放射能の影響も地域によってかなり異なります。私が南相馬で感じたことがすべてではありません。でも、一年を経てみなさんが福島について考えるうえで、すこしでも参考になればと思いました。

 「ダイアログ南相馬」に参加していたのは、主に若者から、働き盛りの中年世代。南相馬から離れず、自分の故郷で生きていこうとする人たちが集まっていました。
 私が南相馬に行くと言ったとき、ある友人は「え? まだそんなに人が住んでいるの?」と驚いていたのです。
 南相馬市は震災直後に市長がYouTubeを通して世界に窮状を訴えたことで注目されました。そのため、原発に近くて危険な場所という印象を持っている方も多いかもしれません。

 実際には、南相馬の海沿いの地域は、内陸部の山沿いの地域よりも放射線量は低いくらいです。海から吹く強い風によって、放射性物質は飛ばされていきます。やがて山にぶつかり木々の上に降り、葉に付着し、土壌に積もって雨によって流される。自然現象が関与して複雑なホットスポット(高放射線量地域)ができたことは周知の通りです。

 原発には近いですが、南相馬市や川内村の多くの場所は、人が暮らしていくことのできる線量になっています。でも、両地域とも原発から20キロの警戒区域と接しているため、同心円に境界線が引かれており、その内側はいまも立ち入り禁止です。
 線量は30から50センチ間隔で測定しなければ、ホットスポットはわからない。二十キロという線引きがおよそ現実的でないことを地元の人たちは知っており、現実とそぐわない政策のよじれを、自分たちの弱さ、無力さとして感じてしまわれているようでした。

 昨年の7月から、南相馬にも内部被曝を調べるホールボディカウンターが導入されました。たった一台しかないので予約は常にパンク状態。この装置で市民の内部被曝を調査している東京大学の坪倉正治医師の講演には、さまざまな年代の方たちが集まっていました。質疑応答の時間に手を上げて質問した女性は「子どもたちが被曝して鼻血を出した、という話を県外の友人から聞いたのですが、子どもへの影響は大丈夫なんでしょうか?」と不安げに尋ねていました。風評についての質問は多かったです。

 質問を受けた坪倉医師はどう応えていいものか……と悩んでいました。
「そのような症状を訴えて来た人は、私が赴任してから一人もいません」と答え、さらに「私の専門は血液の病気です。もし、放射線による急性の障害が出た場合、鼻血は止まりませんよ。出血し続けます。同時に他の影響も出てきます。たとえば、軽くぶつけたところが内出血を起こす、下血する……などです。ちょっと鼻血が出たなどという軽い症状ではないのです。ですから、どうか安心してください」

 講演のあと、坪倉医師にお話しを聞くことができました。
 現時点において一般市民に放射線によって健康被害が出たという報告はない。もちろん、内部被曝調査はまだ一万人ほどしか行われていないので、もっと調査が必要だが、いまのところはない、と言います。
 ホールボディカウンターと検査人員が増えれば調査が進み、住民の方々ももっと安心するのだろうが、とにかく医師も看護士もどうしようもなく足りない。
「放射線被曝で子どもに健康被害が出ている、という風評は、この土地に住んでいる人たちをたいへん不安にさせています。そういう被害はいまのところ、出ていません。私は科学者ですからそのように言うしかないのですが……」
 坪倉さんは、科学者として苦悩していました。まだ、安全だとは言いきれない。
「でも、4月からここに来て、スーパーで買った食物を食べていますが、被曝などしていませんよ……」

 放射線による健康被害は出ていないが、昨年から野犬に噛まれた……と言って病院に来る人が急増している。20キロ圏内で野生化した犬が圏外に出てきて人を襲うようになっているのだ。また、残っている瓦礫の中で釘を踏み抜いて怪我をした……という人も多いといいます。
「深刻なのは医師不足です。一時期、南相馬はスタッフが避難してしまい病院ゼロの状態になりました。病気になったても治療が受けられない。医師不足は住民の健康には重大な問題なのです。国はもっと真剣に取り組んで欲しい」

 私は原発には反対の立場です。それはずっと変わっていません。でも、原発反対を訴えるために、未確認の情報をtwitterで流すことは慎まなければならないと感じました。福島の多くの人たちは、故郷に誇りをもっており、故郷で生きていきたいと願っているのです。

 事故から一年を経過して、ようやく汚染の現状が明らかになりつつあり、細かな汚染地図もできてきました。現実的な未来への展望が開けています。
 危険か安全か……という二極化した議論は、現地にいない者の頭の中で展開します。実際に生活している人たちは、もっと実際的に「生きる工夫」をしながら困難と立ち向かっていました。私は、それが生活するということだと思います。この世に「絶対に安全な地」は存在しない。生活者は生まれ育った場所で様々な困難や危険を一つひとつ解決しながら生きています。その場所で暮らし、子どもを育て、老人を介護し、生きる……ということは、不具合や理不尽との格闘なのです。
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 除染という問題に関しても、現場と世論では奇妙なズレがあることがわかりました。除染を奨励する世論は圧倒的に強いのですが、現地に行ってみると除染の問題はとても複雑でした。交付金が本当に有効な除染に、適切に使われているかどうか、疑問に思っている人たちが多かったのです。
「どうせ、除染のお金で誰かが儲けているんだろう」と、冗談のように言う庶民の直感を、無視できないと思いました。
 ほとんどの住民が避難しているような地域の公園が除染され、削り取った表土にビニールシートをかけて置いてある光景を、川内村で見ました。そのビニールシートは業者指定であり、一枚が一万円以上するのだそうだ。
 必要な除染もあるけれど、意味不明の除染も多い……と、住民の方たちは感じています。住民側が必要な除染をするための手続きが面倒だとも言います。何千億もの除染費用は、ほんとうに住民の暮らしのために使われるのか……疑問に思う人が多かったです。
 地方行政に携わる人たちは「(国が)もっと自由に使えるお金を回してくれなければ地元に役立てることは難しい」と怒っていました。
 「ダイアローグ南相馬」に参加していた桜井勝延市長は「国を頼っていても疲弊するばかりだ。自分たちの智恵で立ち上がっていくしかない」と市民に訴えていました。

 私は昨年から、福島の子どもたちに長期間、北海道の林間学校で過ごしてもらうというプロジェクトを応援しています。「ふくしまキッズ夏季林間学校」には八〇〇人の子どもたちが参加。冬のプロジェクトは国内の地方自治体に声をかけて子どもたちを分散的に受け入れてもらいました。
 そのとき、福島の親ごさんから「横浜は放射線量が高いのでちょっと……」という声が出てはっとしました。
 お母さんたちが、どれほど「放射線」という見えない不安に脅かされているか、実感として伝わってきたからです。 心の不安は数値で表すことができない。だから深刻なのだと思いました。心が放射能で汚染されると、それまでの慣れ親しんだ温かな日常が、恐ろしい毒をもった世界に変貌してしまいます。それは個人の内面に起こる変化なので、他者には理解できないことが多く、不安な人は理解されない絶望を味わいどんどん孤立していくことになります。
 心のケアを……と言うけれど、いま起きているのは人類があまり経験したことのない「わたしたちの町が放射性物質に汚染される」というシュールな現実で、「ケア」することはたいへん難しいのです。
 そのため「数値」という目に見えるもので、危険を量ろうとするのですが、ガイガーカウンターの示す数値で「私はガンになるのか?」という問いに誰が答えられるでしょうか。
 専門家や研究者の方たちは「その程度の被曝線量では健康に害はありません」と言います。それは科学的な答えでしょう。でも私にはこんなふうに聞こえます。「お尻を触られても死なないから大丈夫です」と。「気にするな」と言われても、毎日お尻を触られていたら嫌でたまらないですよね。そのことを理解されなかったら、ほんとうに病気になってしまうかもしれません。

 物事は法律にのっとって合理的に解決できると多くの人は考えるけれど、目に見えない放射線の問題は法律や医療制度で解決できる部分が少なく、個人がそれぞれに現実をどう受け止めるか……という、人生観や価値観、あるいは死生観の問題とからみあってきます。福島に暮らす方たち、一人ひとりが、心に葛藤を抱え、なんとか自分の心をなだめ、現実と向き合おうと苦しんでいる。その、葛藤の苦しみのなかで生み出されることばは、深かったです。
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 震災直後からパンを焼き続けて被災した方たちを支えてきた、「ふわふわパン工房パルティール」の只野さんご夫妻。お店の真ん前は小学校。以前はたくさんの子どもたちが行き来していたそうです。
「もうぜんぜん、表で子どもの姿を見ません。子どもたち、どこにいるのかなって感じです……。外で遊んでいる姿も見ません……」
 お二人は全国から小麦粉の支援を受けながら、ひたすらパンを焼き続けてきました。私が訪れたその日も、閉まっている店舗が多いなかで朝から焼き立てのパンが並んでいました。なにげない日常を維持することの大切さを、温かいパンを食べながら痛感しました。

 坪倉医師は「子どもたちが外で遊んでも、洗濯物を干しても、大丈夫な放射能量です。もちろん、まだまだ注意は必要ですが、あまり不安になりすぎるのはかえってストレスだと思います」と言っていました。
 大丈夫、絶対に危険がない……とは言いきれない。まだ、観察が必要である。でも、だからといって「危険を煽る」のは現実的ではない。
 私は大学院の研究を中断し、南相馬で内部被曝調査を続ける若い医師に共感しました。彼の中の科学者としての自分と、一個人としての自分が激しくからみあい対立していたからです。個人的な意見なら大丈夫ですよと言って地域の皆を安心させてあげたい。でも、科学者としては正確な数値化された情報がなければ安全とは言えない。その葛藤が、お話しているとびしびし伝わってくるのです。彼は終始、苦しそうな表情をしていました。
 ここで暮らすために、どう放射線とつきあうかを、実際的に考えていくことが大切なのだと思いました。花粉の季節に花粉とつきあうように……。

 他の地域では、また事情が違うでしょう。
 飯館村や伊達市……、それぞれの土地にそれぞれの事情があります。この世の有り様のすべてをわかることなんてできません。だから、わからないという謙虚さを、大切にしようと思います。
「福島に来てください。現場を見て発言してください」
 いろんな方に言われました。あなた方は現実を知らなすぎると……。

 一年を経て、原発の問題は矛盾を孕みどんどん複雑化しています。だから感じるしかないことがある。なにも終息してはいない。始まったばかりです。
 一人でも多くの人が福島を訪れ、そこで生き、暮らしている人たちを、頭ではなく心で感じてくれることを願っています。現実を見れば、単純に善悪でなにかを語れないことがわかる。そうなれば、心に葛藤が起こります。その葛藤が、私と福島の人たちをつなぐ絆なのだと思う。共に矛盾を抱え、悩むむことから、問題を共有できる。だから、現実を知ることは大切だと思うのです。わかるためではなく、悩むために。

坪倉さんのインタビュー
http://www.asahi.com/health/feature/drtsubokura_0301.html
by flammableskirt | 2012-03-08 12:31

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