いま、べてるの家について思うこと。

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もう数年前になるけれど、東京大学にまだ上野千鶴子先生がいらっしゃった頃、上野先生の企画で「べてるに学ぶ降りてゆく生き方」というシンポジウムが開催された。
上野先生は「浦河べてるの家」に何度も通われて、べてるの家の思想……というか、たぶん、べてるという場の持っている価値観に共鳴されていたのだと思う。東大という「昇っていく生き方」の象徴のような場所に、べてるの家の人たちがたくさん呼ばれて、そこでシンポジウムと分科会が行われた。私はその時、パネリストとして参加していた。

「べてるの家」のことを知らない人もいると思うけれど、ここで説明をすると長くなってしまうので、興味のある方は「べてる本」と言われる、べてるに関する書物を読んで、べてるの家とはどういうところかご自身で感じてほしい。
私は2002年頃からだろうか……、べてるの家という存在を本で知り、ここの方たちと交流し始めた。かれこれ十年近くこの存在を気にかけているけれども、なにかまとまった作品として発表したことは……そういえばなかった。

シンポジウムの席で、他の出席者の人たちは、たいへん高学歴で地位のある場に着いていながら「降りてゆく生き方は、今の時代にたいせつだと思う」とおっしゃった。私にはさっぱりわからなかった。ほんとうにわからなかった。私はそのときこう発言した。
「私は降りたくありません。一生懸命に上ってきたし、これからも降りたいとは思わない。できればもっと上りたい」……と。
その場でだったか、後でだったか忘れたけれど、Mr.べてると呼ばれる、かなり重い統合失調症の潔さんという方が、
「ランディはビョーキだな。いつでも、辛くなったらべてるに来ていいからな。身体ひとつでべてるに来いよ」
 と、私に言うのだ。
私はこれまた、驚いてしまった。
「私がビョーキなの? 私は正直なだけだよ。みんなだって本当は降りたいなんて思っていないと思う」
潔さんは笑って、
「だから、ランディはビョーキなんだよ」
 と、また言うのである。
「いや、私はぜんぜん精神的には病んでいないし、医者にもかかっていないし、申し訳ないけれど、かなり健全に生きていると思うよ」
すると、潔さんは
「ははは、だからビョーキなんだべ」
と、譲らないのである。でも、これ以上、自分は正常だと言い張ると、なんだか統合失調症の潔さんに悪い気もしてきて、私は渋々「そうか、ビョーキなのかなあ」と言い、「でも、具合が悪くなったらべてるがあるから安心だね」と笑ったのだった。

その頃、私は本当になぜ自分をビョーキだと潔さんが言うのか、私には謎だった。私は家庭をもち、職業をもち、かなり立派に社会に適応して生きているのではないか……と。私の家族は確かにビョーキだったが、私は健常である……と思っていた。
あれから、ずいぶん時間が経って、ようやくこの頃になって、潔さんの言っていた意味がわかるようになってきた。

あの時、潔さんはたぶん、私を「仲間だ」と思ってくれたのだ。それはなぜかと言えば「私は降りたくない」と言ったからだ。

なんらかの精神的な病を発病してべてるの家に集まって来ている人たちは、たぶん、必死になって「降りたくない、降りてはいけない」と階段にしがみついていた人たちなのである。こんなに社会が昇れ昇れと言っている階段を、昇れない自分は情けない、昇らなければいけない、だから昇るのだ。降りてはダメだと、相当にねばってきたのだ。

でも、社会が望む生き方は、彼らの心の内側からあふれ出してくる「自分らしい生き方」と対立してしまい、その対立によって自分の内面が引き裂かれてしまい、どうしようもなくなって精神病として発露してきたのである。ほんとうの自分を生きる……ということがどういうことなのか、多くの人はわからないし、私もわからなかった。自分は、ほんとうの自分を生きているように思い込んでいるし、それで、案外とうまくやってしまえれば、一生、社会が決めた価値観に添って生きることを不自然とは思わない。

だから、自分をたいせつに生きる……という点から見れば、べてるの家の人たちは「選ばれた人たち」だろうと思う。おおよそ、病気になるという体験を強いられる人たちは「自分とはなにか」を知ることのために、選ばれた人たちなのだ。いったい誰から選ばれたのだ?と質問されれば、私は「人類から」としか答えようがない。神などではなく、人間という意識をもった種のなかで選ばれた人たちなのだと思う。

潔さんは「降りたくない」と主張する私の内面にある、「降りたいけど、降りられない」という対立を、素早く、察知したのである。内面に「降りたい」という欲求があり、それに気づいているから反動形成として「降りたくない」という強い抵抗が出てくる。その対立が激化すると、時として発病という形になるのである。だから、潔さんから見れば、すでに私はビョーキであり、ただ症状がまだ表面化していないだけ、と思えたのだろう。

「降りていく生き方はすばらしい!これからの日本人には必要な価値観です」と、まったく自分を勘定に入れずに客観的に蚊帳の外側で語る人たちのことを、潔さんは「対立を避けている人たち」として全く相手にしていなかった。そういう人たちは、永遠に自分の問題として「降りるか昇るか」など考えず、実はほんとうの自分というものにも興味も持たず、ただ、社会の価値観を受け入れて生きることができるのだ。

そういう人たちに、いくら降りていく生き方なんて言っても、頭でわかってくれるだけで、自分には全く関係ないこととして素通りしていくだけだ。そう感じていたのだと思う。
そして「降りたくない!」と言う私の、私ですら気づいていなかった内面の葛藤を、感じとったのだろう……。

最近、ある知人から「べてるの家に対する批判が出ている」という話を聞いた。べてるの家のことはマスコミにずいぶんともちあげられてきたから、そうなったら自然の法則としてあがったものはさがる。それは納得できる。たぶん「べてるの家の人々は選ばれた人々だ」などと私が言うと、それも批判の対象になるのだろう。彼らを過剰に評価しすぎだ……というように。

ことばは難しい。選ばれた……ということを「選民」のようにとらえてしまえば、確かにべてるの家の人たちを特別扱いして敬っているように見えるかもしれない。でも、私が伝えたいのはまったく違うことなのだ。 

選ばれる……ということは、受難なのである。それは、苦しむ者として選ばれたということなのだ。人は一人ひとり違う。バラバラに生まれてバラバラに死ぬ。一人として同じ人はいないけれど、おおむね同じ環境に生まれれば、同じ環境で同じようなシステムの中で育てられる。

それでも、どんな親に生まれて、どういう家庭で育つかは、かなり違いがあり、生まれてみたら親と環境が待っているのであり、そこで生きていかざるおえない。

かなり違うのに、かなり同じ社会条件のなかで、人は生きていかなければならない。私はアルコール依存症の父親の元で育った。一見、普通の家庭に見えるが親がアルコール依存症だと、その家庭で育つ子どもの内的な世界は全く異なる。親は自分を保護してくれず、嘘つきなのである。子どもの頃から欺かれる。理不尽な対応をされる。そういう中で、逆に人間とはどういう存在か、とか、この自分の苦しみはなんだろうか、とか、考えざるえなくなる。社会がどんなに「人間のすばらしさ」を説いてくれても、それをおいそれとは信じられない。「そんな単純なものじゃないんだ」という気持ちが育つ。社会と自分の内的世界の亀裂を子どもの頃から体験する。対立する二つのものの間で緊張しながら生きていく。

疑い深いと言ってもいいかもしれない。なにか違うと思っている。なにか違うと思っているのに、我慢して社会に合せているから、内的な自分が統合できずに統合失調症となるわけで、この病名はうまく症状を表しているなと思う。

私はかなり努力して、社会性を育ててきたし、この社会の中で適応するために努力もしてきた。家庭をもち、子どもも育て、両親も看取った。そうしながらも、自分のなかには別の自分もいて、その自分はとてもあまのじゃくで、世論とか、正論というものにいつも疑問をもっていて、なにか違うと思っていた。

死刑には反対だが、死刑反対にも反対なのである。原発には反対だが、原発反対には反対なのである。なぜなら、そこの道に進むとほんとうの自分とはズレてしまうからだ……。私の個別の考えを他者にわかるように説明することのなんという困難。このような内的葛藤は、とてもストレスで、心のなかでいろんな考えが渦巻いていて、時々、軽く発病する。

内的な葛藤に興味のない人……というか、あまりそれを経験しないでもよい人生を送って来れた人たちは、自分の自我を揺るがすような葛藤を怖れるがゆえに他者を批判して叩きつぶすことがよくある。怖れから生まれる怒りという感情は、とかく正義と結びつきやすい、人間の心の恐るべき影だ……。

震災以降、自分のビョーキは重くなっているように思う。原発に関しても、支援ということに関しても、心のなかでいくつもの自分が対立し、言い争い、その背後にある自分らしい行動……というものと触れ合えないことで、苦しんでいる。発病しないために、この対立に耐えるだけの強い自我と、自分をより深く知るための内向性が必要となった。たぶん、私がアール・ブリュットという絵画表現にとても惹かれているのは、自分の内的な世界を守ることと関係していると思う。

べてるの家の価値を社会的に見てどうか……という議論は、私には無意味に思えてしまう。私が彼らから学んだのは「私は降りたくない」と思っているとうことであり、それゆえに彼らの仲間だった……という自分自身の二重性だった。「降りましょう、降りましょう!」と言って降りられる人、「降りるのはすばらしい」と言って自分とは関係ないと思っている人、そのような人たちにとっては、べてるは全くどうでもいいことなのだと思う。

自分にとってほんとうではない生き方のために、病気になる……という、この受難を受け止めた個々が、あの場に集った。そこで三〇年の時間をかけて生まれてきたものは、彼らにとって意味あるものかもしれないけれど、受難を「受難」として経験しない者が(罰や報復だと思っている人たちが多い)同じものを作ろうとしても無理だし、外側からいくら研究してもわからないだろう。

いつだったか、べてるの下野くん……もう亡くなってしまったけれど、彼が言っていた。「いいんだよ、俺たちはないを言われても、どうせわかってもらえるわけないんだから、怒っても無駄なんだよ」
その時、私はあまりにも外側からべてるを分析しようとする研究者に対して、怒っていたのだ。下野くんはそんな私に「まあまあ、そんなに怒らないで」と言ったのだ。

あの時、分析している研究者も、怒っている私も、下野くんには同じように見えたんだろうなと思う。どちらも中心に自分がいない。そうなんだよ、私はあのとき、まだ自分のことすらわかっていなかったんだよ、下野くん……。

※現在発売中の小説新潮に「サンカーラ」という連載を書いています。震災以降、自分がどのように自分の内面にあるさまざまな自分と対話し、矛盾と向き合おうとしつつ、挫折しているか……について書いています。もし、興味のある方は読んでみてください……。
by flammableskirt | 2012-02-25 13:13

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