ワトソン君、君の弱点は「生きることができない」ことだ。

「ワトソン」というIBMのコンピュータが、クイズで人間を負かしたそうだ。
 二十一世紀になってもこの手の記事は「いつかコンピュータが人間の知能を超えるかも?」というような非科学的なことを言う。
 人間という生物の身体のてっぺんに「脳」が装着されている……というイメージは二十世紀の産物かもしれない。私は私の時代の価値観しかわからないのだが、昔の人はたぶんそのような身体イメージを持っていなかったと思う。脳の研究が進んだのはこの百年の間だが、それでも脳は今もって謎だし、脳というよりも「生命」そのものの謎が深まるばかりである。脳は「生命体」に属するもので、身体からひっぺがして脳だけあっても役に立たない。脳についてわかっているのはメカニズムだけであり、そもそも「生命とは?」という大枠がさっぱりわからないので、人間は大腸菌、麹菌一匹すらオリジナルを作り出すことはできない。

 にもかかわらず「脳」がこんなに特別扱いされるのは、脳についての解明が進むと同時に「私が世界をどう認識しているか」というメカニズムがはっきりしてきたからだ。そしてわかったことは、人はみな個別に世界を「認識」しているということだ。あなたと私が感じ取っているものは同じではない。同じパチンコ台を使っても、大当たりする人とダメな人といるように、似たようなシステムを使ってもそれぞれにまったく別なのだ……ということ。脳のメカニズムがどのようであっても、個々の行動の結果はばらつきが出て、小さなばらつきはどんどん次の展開につながり、よって、人は自分の人生を生きざる得ない……ということ。

 だが個別であること、よりも「同じであること」のほうがわかりやすいので、脳は機能論で語られるほうがウケるし、機能論をつきつめれば人工知能になり、さらに突き詰めれば「そのうち人間を超えるコンピュータが出現する」という話になるのだ。

 IBMが発展した背景には第二次世界大戦がある。戦争で暗号制作や暗号解読が必要になったために暗号技術が発達、それがITに繋がっていった。別にそれがいいとか悪いとかそんなことは思わない。必要は発明の母だ。国益をかけての戦争に国家は惜しみなく金を出す。
 
 全く話は違うのだが、コンピュータ、IT でアメリカは世界を凌駕してきた。それはアメリカの国益と覇権のために使われるはずのものだったし、ある時期はそうであったかもしれないが、次第に雲行きが変わってきた。ウィキリークスが登場し、twitterで人々が自由に情報交換できるようになり、YouTubeで意図的編集の少ない映像が流れるようになると、人間は想定外の行動を個別にとり始める。エジプトで起きた革命はどんどん飛び火している。アメリカにとっては面白くない話だろうが、人間という生命体は脳が合理的だと判断したことをするとは限らないし、そもそも脳というものが増改築を繰り返した家のように複雑でグロテスクなものであるし、およそ人間が起こしうるすべての不条理な行動こそ、真に人間らしい多様性として語るしかない不思議な生物である人間の脳を、機械と比べることは近代の戯れだ。
by flammableskirt | 2011-02-21 10:51

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