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by flammableskirt
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聞くと、聴くの違い。

勉強が苦手だ。
哲学的な問題、思想的な問題に興味も関心もある。
でも、そういう議論がすっと頭に入って来ない。
たぶん、この社会では、そういう難解な議論がすっと頭に入り、それに対する言語ゲームがうまくできる人が優秀な人とされるんだと思う。そういう学生さんは就職活動もうまく、プレゼンも上手なのだろう。

問題に関心はある。興味もあるけれど、言語ゲームが苦手という人は多いんじゃないだろうか。私もそうだ。ダイアローグ研究会をやっているが、それも自分の苦手克服のためと言えるかもしれない。

私は言葉を扱う人間なので、議論が得意そうに思われがちだが、非常に苦痛を感じてシンポジウムなどに出席する。ばーっと難しい話をされるとほとんどの言葉が頭から抜けてしまう。若い頃はそういう自分に劣等感を感じ、わかったふりをして適当なことを言うか、あるいは、動転して発言できないか、もしくは焦りすぎて妙なことを口走るか、とにかく余裕が持てなかった。

たとえば、おとといのモーリーさんの弾丸トークも脈絡にそって整理できない。いろんなエピソードが激流のように目の前を過ぎていく感じだ。一つひとつの言葉は理解できるのだが、まとまりとなった文脈として頭に入ってこない。

なので、後に知人がネット上でモーリーさんの発言をうまく紹介していたときに、語られたエピソードが革命のきっかけになった……ということを知り「そういうことの説明のためのエピソードだったのか!」とやっとわかった。私は人の話を聞いていないのではなく、聞けないのである。そのことに焦るあまりに、ますます混乱していたのが若い頃だった。

さすがに長く生きていれば、そういう自分にあきらめもつく。わからないなりに生きて仕事をしていかなければならない。聞き取れないことを焦るとますます動転するので、メモを取るようになった。だが、メモを取り続けてもおいつかない。メモを取ることに終始するとメモを取るのに精いっぱいだ。そういう授業の受け方をしている人も多いんだろう。

じゃあ私は他人の話をどう受け止めているのか……と言えば、印象で受け止めている。印象派なのだ。というかそうしか受け止められないのである。落ち着いて焦っていなければ、ぼんやりとした雰囲気で聞いている。非言語的に聞いているという感じだろうか。作家なのに変だなあと思う。文章化はできる。でも言葉の聞き取りが苦手で、言葉にこだわると、訳が判らなくなってしまう。

印象という実にあいまいなものに頼れば、言葉の手触りでもって相手が何を言っているのか理解できる。ただ、それを言葉に置き換えるためには、自分が文章で書かなければわからないので、時間がかかる。作家という仕事は私には向いているのだ。この十数年、印象を言語化するという特訓を重ねてきた。おかげで、人前でも少しはしゃべれるようになってきた。多くの「論理的な人たち」からは、印象を語っていると批判されがちだが、その通りなのでしょうがない。私は言語的なロジックが苦手だ。ディベートなんて、絶対に無理と思う。考えただけでぞっとする。

私は聞き取りが下手なぶん、言葉にだまされないという長所があることがわかった。ロジックがつかみ取れないので、ロジックでだまされない……というか、ロジックであることすらわかっていない。バカゆえの勝利ということか。直感という得体のしれないいいかげんなものを頼りに人の話を聞いている。だから「なんか違うんだよなあ」に敏感なのだ。なんか違うが、なにが違うのかわからない。なので私の話には「わからないけど、なんか違うんだよなあ」というのが多い。でも、そんなことをシンポジウムの会場で言っても、バカをさらすだけなので、最近は言わない。昔はよくそう言って、バカにされた。また、言葉を断片的に聞き取っているので、ものすごい誤解や、前後の話が文脈のなかでひっくり返ってつながっていたりして「なにを聞いていたの?」と呆れられることもあった。それでも、大きくざっくりと人の話を感じ取っている。

私は言語の聞き取りが苦手だということをずっとわからずに生きてきた。別に生活に支障はないし、しゃべることもそれなりに得意だった。他人もこんなものだろうと思っていた。だけども、優秀な人とされる人たちと自分には差があり、その差が「議論」の場面でははっきりと出る。その経験を積み重ねるうちに、私はバカだ→という自己否定的な考えに陥いりがちになっていたのだが、文章を書いてみればちゃんと反論ができるということに気がついた。なぜなんだろう、私はどこが変なんだろう、私の不得意はなんだ?
と思って意識するようになってやっと、どうやら聞き取りが下手らしい、ということに40を過ぎて気付くのである。

それから、自分が苦手なことはあえて捨てた。直感力で補えるのだから、聞き取れなくてもいいのだと諦めたし、会議やシンポジウムで自分がお利口であると見せることを諦めた。変なことを言う人になってしまえば、それなりのポジショニングがあるというものだ。

私は人の語りを聴くのは得意である。ぼんやりとメモもとらずにその印象を頼りに聞いていると、その人がほんとうになにを伝えたいのか感じとしてわかる。また、伝えたいことなどなにもないのだな、自分を優位に見せたいだけだとか、信念にこだわってへ理屈をこねているだけだ、とかわかるのだ。人間は楽器みたいだなあと思う。みんな音楽を奏でている。それを聴くのはとても楽しい。
by flammableskirt | 2011-01-29 08:17