世界で一番の不運
2011年 01月 23日
広島と長崎で被爆した男性について、英国BBCのクイズ番組が「世界で一番不幸な男」と紹介したという。これが日本人の怒りを買っている……ということは、twitterで初めて知った。
作家になってから、亀のようにのろのろと原爆の取材を続けており、昨年は長崎に行った。長崎の原爆資料館で偶然、この男性、山口彊(やまぐちつとむ)さんの人となりを伺った。「そりゃあユーモアのある、とても楽しい方だったんです。ほんとうに明るくて、周りの人間が元気になってしまうような方でした」
山口さんは英語が堪能だった。戦前は英語の教員だったし、戦後は占領軍の通訳として働いた。「英語を話せば言葉が通じる。戦うよりも話しあったほうがいいじゃないか」と、戦争の時代にあっても英語を勉強したそうだ。
サーベル握りしめたところで平和は無理。
そう語った人だと聞いた。
広島で出会って、交流していた川野政次さんは「私は世界一元気な被爆者です」と言って、世界を回って歩いていた。その川野さんがいつも言っていたのは「私のごときちっぽけな人間一人、殺すこともできなんですからね。原爆なんぞでなにができるっていうんですか」というものだった。この発言には賛否両論が集まった。
「そんなことを言ったら、原爆の被害がとても小さいものに思われてしまう……」と危惧する人もいた。被爆して亡くなった人たちの親族も「世界一元気な被爆者」という川野さんの発言には複雑な思いをもっていたと思う。
これは川野さんのジョークである。世界一元気な被爆者というのは、これはブラックジョークである。だけども「原爆」という名詞がもつ呪縛の強さはジョークを許さない。それが被爆者自身から発せられたものであっても。ましてや、英国が発するジョークを許すことはないだろう。そういう場が形成されているとしか思えない。自己免疫疾患的に、なんでも攻撃してしまう状況は、まだ現存する。
原爆に二度も遭遇する。
それは、人類史上最大の受難と言っていい。だから世界一不運な男という形容はあながち間違いではない。その通りだろう。つまり、ひねりはない。
イギリスから留学してきた若者が「日本人はジョークが通じない」と嘆いていたのを思いだす。彼らは身体的な特徴などを平気でジョークのネタにする。かなり辛辣だ。とはいえ昭和三〇年代生まれの私にしてみれば、子供の頃の身体ネタの応酬は常識。出っ歯、チビ、禿げ、と言いたい放題だった。だからあまり、辛辣とは感じない。「三バカ大将」という信じられないタイトルのアニメも存在した時代だ。「おまえのかあちゃんでーべそ」がはやしことばだった。
だから、イギリス人のジョークはOKと言うのか、と聞かれると、私としてはイギリス人のジョークの質も落ちたのね、というくらいだ。
そもそもジョークとして、どこが面白いのかわからない。二重被爆した男性、その存在をどう捉え、なにをおちょくったのかわからない。
ジョークとしての切れがないじゃないか。ブラックですらない。小学生レベルではないか。だから、その程度のセンスに文句を言ったところで、相手に通じるはずもないし、ほっといたらいいんじゃないの?という感じだ。イギリスもイギリスで、なにかが欠けてきているのかもしれない。そういう、メディアの人間の切れ味の悪さ、視点の鈍さは先進国共通のような気がしてくる。