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ダライ・ラマ法王の苦悩

チベットの独立、それこそがダライ・ラマ法王の切なる願いだろう。
自分たちの国が独立できない、ということの苦悩。想像しようとしても私の想像力では追いつかない。
対立のない世界を願うダライ・ラマ法王をめぐって、すでに対立が起きている現実。
ところで、ダライ・ラマ法王は「仏教のひとつの頂点」に立っているのか。
仏教の多様性を考えると、それは少しばかり偏った見方にように思えてならない。
「ダライ・ラマ法王14世と日本の学者4人の対話から未来が見える」
このイベントは友人が運営に協力しており、友人からの依頼でブログにアップしている。
しかし、残念なことに私はこの日、イタリアに出張中で傍聴することはできない。
パネリストは皆、とても著名な方々である。有意義な提言がされるだろう。そしてたぶん、想像するにそれぞれの方たちはおおむね、未来のあるべき地球について、それほど努力せずとも合意できる方たちであろう。
だからサブタイトルは仏教と科学の共鳴……なのだろう。
少しばかり、天の邪鬼な見方をしてしまうのだが、なぜ共鳴できる人たちとのみ共鳴するのか。
この世界の問題は対立であり、対立を回避する対話を模索するなら、対立軸にある思想をぶつけてみないと、なにが対立点なのかがわからない。
対立する者同士はなかなか同じテーブルに着いて対話を始めようとはしないし、実際にそのような場が用意されたとしても、相手のあげ足を取ったり攻撃したり、まったく意見を聞く耳をもたぬことが多い。
それは、実に多くの場合そうである。立場が、平和の側であっても、なくても、両者とも対話する前に対立しようとする。
仲良し同士なら誰でも仲良くできるだろう。
そして、仲良し同士はどんどんくっついて自分たちが多数意見であることをアピールしたがる。だが、数で抑え込む解決策はまた次の問題を産む。対話を知るためには、対話を体験するべきなのじゃないか。
対話しようとしても対話すらできない相手と、いかに対話するかが問題だ。
それを知らずして、ダライ・ラマ法王の苦悩を理解することはできないだろう。
平和を声高に叫ぶ人たちのなかには、平和のために攻撃的になる人も多い。それは正義であるからだ。全面に押し出せば自分の攻撃性は正当化されてしまうかもしれない。
そのような人間の弱さを、対話は暴き出す。そして気づかせてくれる。その醜さを。
反対意見のない場を対話と呼ぶべきなのか、いつも悩む。
by flammableskirt | 2009-10-26 17:07