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by flammableskirt
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ボルドーの思い出

山形の夜、ボルドーというバーに行く。
カウンターだけの落ち着いたバーだった。この店には「角」がなかった。
すべての角は、野菜の面取りをしたように丸く削られている。天井も、カウンターテーブルも。
大谷石を使った店内装飾も地味だが品のいい暖かさを感じた。そのカウンターのなかに、70歳になろうというバーテンダーのママが一人いて、カクテルが売りだという。

私を連れて行ったMさんは、店内に入るなり「この人は有名な作家でね」と言い出した。
いきなり店屋で作家だと紹介されることほど気詰まりなことはない。正直、背筋がぞっとするのだが、そもそも彼はそういう鈍感な人であるので私は知らんぷりしていた。デビュー当時なら「やめてください」と怒っていたと思うが、もうそんな自尊心もなくなった。いまどき私の本など地方の本屋にたいして置いてあるわけもない。よほど変った人以外は知らないであろう。すべての人に受けるような本も書いていない。有名かどうかは知らんが、私が作家であることに間違いはない。
するとカウンターの中のママは露骨に機嫌が悪くなった。
「有名だかなんだか知らないけど、そんなこと言われたってこっちは困るのよ。うちは作家さんもたくさん来るけど、いちいち職業も聞かないし、そういうことはしゃべってるうちにだんだんわかればいいんであって、最初から有名な作家だ、と言われたって、すみません知りませんでしたとしか言いようがないじゃないの」
全くその通りである。率直な人だ。
私は場が気まずくなりそうだったので、慌てて話題を変えてみた。
「お店、すてきですね。インテリアもおしゃれだなあ、あの花瓶も……」
「あれは花瓶じゃないの」
「ああ、オブジェなんですね」
私を連れてきた男性は「ね、ここのママおもしろいだろう?」と、これまた無粋なことを言う。悪気はないのだ。こういう人なのだ。若い頃にホステスをやっていたので、こういうお客さんの相手もしたなあ……と思う。すでに、私は接待されているのにホステスな気分になってきた。だから男性と、ママのいる店に行くのは苦手だ。どうしても昔の癖でママには気を使い、男性を接客してしまう。
「それで、作家ってどんなもの書いてるの?」
「はあ、田口ランディっていうんですけど……」
「ランディ? 知らない。だからさ、最初から有名な作家とか紹介されると知らないとこっちが恥かくのよ。それをわかってないのよね。うちは作家だからって色紙なんか飾らないし、有名人だっていっぱい来るけど、いちいちそんなこと話題にしたりしないのよ」
男性はママの剣幕を聞きながら「ね、ね、すごいでしょここのママ、もういつも怒られちゃってさあ」と喜んでいる。勝手にしていなさい、と思うのだが、せっかく来た店だし、それにこの店はわりあい趣味がよく、こざっぱりとしていて田舎の店にありがちな物をなんでも置いてしまうような猥雑さがない。どういう店でありたいか、という店主の意志がしっかり現われている店であり、こんな良い店でつまらない時間を過したくないので、私はまずカクテルを頼んでみた。ママはメニューを出さずに「なにがいいですか?」と言う。連れの男性は「山崎」を炭酸で割ってくれ、と注文していた。ママは呆れたように言った。
「山崎を? 炭酸で割るの? 気がしれないわ」
まったく同感だった。ママは正しい。
私はバラライカを頼んだ。無難な線でいってみた。出てきたバラライカは甘かった。ジュースみたいだなあと思ったが、あまり酔っ払いたくもなかったのでちょうどよかった。
「私も、ああいう紹介のされ方は好きではないんです。相手も困るだろうけれど、私も困るんです。それに、すみませんあなたのこと知らないんですよ、ごめんなさい、って謝られてもなんだか居心地悪いし……」
「そうでしょう、だからね、こういう店で人を連れてきて紹介するときは、ああいうこと言っちゃダメなのよ」
「でもまあ、いろんなことにもう慣れましたから」
と、私が言ってバラライカを飲んだあたりから、ママは急に優しくなった。私に対して気の毒だと思ったのかなんなのかよくわからない。たぶん、私がどういう反応をするか見ていたのかもしれない。作家だとか言うけど、高飛車でイヤな女なら相手にしないと思っていたのかもしれない。
特筆すべきは、この店はレコードプレーヤーで音楽を流していたことだ。しかもスピーカーは壁に埋め込み式になっており、音が店内によく響くように工夫されていた。角のないまあるい空間で、しかも大谷石がよく音を拾い細かい凹凸で反響させるせいか、レコードの溝から再生された音はより深みと奥行きを増して、あたかも現実の音のように店内に響くのだ。
「レコード、いいですね、音の奥行きがすばらしいです」
そう言うと、ママは次から次へと古い古いレコードを出してきた。越路吹雪とか、岸洋子とか、グラシェ・スサーナとか、フリオ・イグレシアスとかだ。そういう40年も前のレコードが、これまたすごくいいのだ。この店にぴったりである。マイルス・デービスなんかもかけてもらったが、やっぱ越路吹雪であろう。「ろくでなし」なんて、途中で針が飛ぶのまでカッコいいのである。特にシャンソンが好きとか、レトロが好きとか、そういう趣味の問題ではなく、この店の音響と雰囲気と越路吹雪のレコードがベストマッチングなのだ。ものすごく不思議な気分になった。厳然とこの小さな空間に時間を超越した昭和のリアリティが生まれ、越路吹雪が耳元で歌っていた。魔法のようだった。酒場とはこういう場所でなければならないし、バラライカが甘すぎようと、この店はよい酒場である。
そのあとに、三人組の男性客が入ってきて、そのうちの一人のリクエストで曲が高橋真理子のCDに変った。その瞬間に店の空気が変ってしまった。CDの音はうすっぺらくきんきんして、奥行きなどなにもなかった。そのうすっぺたな音を大谷石が反響させても、やはり奥行きなど生まれないのだった。こんなにはっきりと、レコードとCDの音の違いを痛感したのは初めてで、我が耳を疑ったほどだ。
「山形の町へは20年前に来たきりです」
「20年前……、じゃああなた45歳くらい?」
「いえ、今年50歳になります」
20年前に山形に来たことが、ついこの間のように感じる。20年や30年の歳月など、ほんとうに瞬く間なのだ。ママのしゃべる山形弁がなんだかとても懐かしかった。ママはこの店を始めて50年、2年前にずっといっしょに店に立っていたマスターが亡くなったという。それからは毎夜、一人で店を開けている。
「50年間、病気ひとつしたことないんだから、ほんとありがたいわ」
長年、店をやっていると不要なものが増えていきそうなものだが、この店は実になにもない。ものすごくシンプルである。それがすごいと思った。年月の不要な塵がなにもない。このママの性格が現われているような気がする。二杯目のカクテルに悩んでいると「ジンは好き?」と訊かれた。最近、ジンはあまり飲まない。
「うちはジンフィズがおいしいのよ」そう言われれば飲むしかないだろう。シェーカーを振るママを見ながら、連れの男性は「ね、あの大ざっぱなシェーカーの振り方だいいだろう?」とまた余計なことを言う。もちろん悪い気はないのだが無粋である。ほんとうに大ざっぱな振りなのだ。だが出てきたジンフィズは、いい感じだった。タンカレーの味がしっかり立っていて、さっぱりとしたいいレシピなんじゃないかな。いままで飲んできたジンフィズの味の記憶と一瞬にして引き比べた結果として、おいしいと脳は言う。
いろんなバーでカクテルを飲んできたが、大切なのは背筋の伸びた、一本芯の通った態度のバーテンダーが真剣に作ってくれるかどうかだ。その振るまいと人間性が味の一部になっているのがカクテルというものだ。
他のお客さんが帰ってしまうと、私は再びレコードをかけてくれるようにママに頼んだ。
レコード版が回り始めると、また、あの奥行きのある音が戻ってきた。やはり、単にレコードだから、というのではなくこの店の構造と大谷石とが関係しているのだ。すべてがうまく作用してこの奥行きのある優しい響きが生まれているのだ。私が私の仕事場にレコードプレーヤーを購入しても、たぶんこの立体的な音は再現できないのだろう。部屋で越路吹雪を聞いても、楽しくないんだろう。この空間だから越路吹雪のリアリティは再現される。バーチャルではなく、夢のような現実として。
いいかげん、連れは酔っぱらってしまったのだが、私は最後に山崎のロックを頼んだ。
歳をとって、最近またウイスキーが好きになってきた。それも日本のウイスキーが好きなのだ。日本の水が作ったウイスキーはまろやかでほっとする。
ひと口飲んで思った。やっぱり、山崎はロックだろう。
帰ろうとしたら、新しい客が入ってきた。ママはその客たちに私の方を指してきっぱりと言い切った。
「この人はね、有名な作家さんなのよ!」
by flammableskirt | 2009-06-26 11:06