晴れのち曇り
2009年 06月 08日
きのうの講演会には、ブログを見て遠くから来てくれた方がたくさんいてとてもうれしかったです。
どうもありがとうございました。地元での講演というのは作家になってから初めてで、とっても照れ臭かったのですが、みなさんが熱心に聞いてくれて、会場に不思議なエネルギーが満ちていて、すごくいい空間になったなあと思いました。袰岩奈々さんが助っ人に来てくれたので、実際的なお話も聞けてバランスもよかった。
こんなふうにうまくいったのは、主催の本屋さんであるポップインの林店長の熱意と誠意のたまものだなあ。人の思いというものが世界を作っている。きのうまたそのことを実感。
終わってから、林さん、袰岩さんと奥湯河原の「アンリ・エルルカン」でお疲れ会をした。竹林に囲まれた気持ちのよいお店で、オーナーの伊藤さんのすばらしく愛情のこもったお料理をいただいて、気持ちがふわふわのまま家に戻って爆睡した。
アート集団「チン・ポム」の「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか?」を読む。原爆ドームの上に小型機でピカッの煙文字を書いたチン・ポム。それに対して被爆者団体が抗議し、謝罪した。その後、チン・ポムのメンバーは被爆者の方たちと話し合う。その経過が本になっている。
広島に落とされた原爆は、長いこと自由な表現の題材にはなりえなかった。そこには常に「被爆者感情を刺激してはいけない」という強烈な世論のガードがあり、そのガードを越えて原爆を表現者の側に引き寄せて文学にしたり、アートにしたり、ということはタブーだったと思う。私自身、「被爆のマリア」という小説を書いたとき、まったくそのタブーを越えることはできず、そして「越えられない」ということを小説にしかできなかった。若い世代のパワーは凄いなと思う。それが良い悪いではない。現状の枠は越えていかなければ、未来に継承は難しいと感じる。表現は自由である。それをどう受け止めるかは個々の問題である。被害者の側に立って、常に被害者を擁護しなければならない、という強烈な刷り込みは洗脳に近いものがある。それでは、原爆を全く知らない世代は原爆に関われない。彼らにとっての原爆を戦争世代が受け入れ、客観視する度量が試されている。表現されなければ、わからない。体験したうえで、アートとして賞賛するかどうか決めればいいことだ。
いつか「外人と子どものためのヒロシマガイドブック」というものを書こうと思っている。田口ランディ版のヒロシマのガイドブック。私から見たヒロシマの名所旧跡である。そういうものがある。そしてヒロシマの人も知らない場所がある。