新転位21 「シャケと軍手」を観る

 山崎哲さんの新転位21「シャケと軍手」を観た。
 一貫して犯罪を題材に演劇を続けている山崎さんに、私が聞いてみたいのは「なぜ犯罪なんですか?」ということだったのだが、この芝居を観て少しだけわかった気がした。
 秋田で起った幼児連続殺人事件がこの芝居の題材であり、主人公のハタケヤマスズカはまさに実名だった。マスコミでも大きく取上げられて、週刊誌も子どもを殺したこの女性を激しくバッシングした。そして、時とともに忘れられた。
 この舞台では、母親がなぜ子どもを殺したのか……という問いに、山崎さんなりの答えを出している。秋田という土地の来歴と現在、そこで生きるということ、美しい自然と、自然の厳しさゆえの閉塞感、家庭内暴力、崩壊する家族。母親の恋人役を佐野史郎さんが熱演しており、佐野さんがあまりに優しくいい男すぎるために、主人公がうらやましいくらいで、私ならあの男とどこかに逃げる……と思ったのだが、それくらい佐野さんはかっこよかった。
 さらに主人公の弟役の飴屋法水さんが、これまたものすごく無垢で純な弟役を熱演しており、殺された子どもアヤカちゃんと飴屋さんの交流が温かく、美しく、イノセントですばらしかった。
 現実はどうあれ、この舞台の上で母親には彼女を理解しようとする恋人がおり、子どもには優しいおじさんがおり、しかし、それでも母親はいかんともしがたい状況のなかで薬でボロボロになり、閉ざされた世界のなかから出ることができず、ついに事件が起こり子どもは死ぬのである。でも、彼女は子どもを愛しており、崩壊した彼女の家庭のなかでアヤカちゃんの存在は天使であり、かけがえのないものだったことがていねいに描かれていた。
 母親は舞台の上で「あやか、ごめんね」と呟いた。その言葉は現実に死んで行った小さな女の子の魂をどれほど救済するだろうかと思った。そして、この事件を聞いて少しだけ傷ついてしまったすべての子どもと母親の気持ちも救済するものであると感じた。
 事件当初から、あまりにもマスコミは母親を悪者にした。でも、それで傷ついているのはたぶん、その報道を茶の間で見ている、私たち、母と子なのだろう。それに気がつけなかったが、この舞台を観てそう思った。
 だから山崎さんと劇団の人たちは、この舞台を作りあげることで、死んで行った二人の子どもたちを鎮魂したのだと思う。幼い子どもは、たとえ殺されても母を恨まない。死んだあやかちゃんの霊は、事件報道で母親への悪意だけが増幅されることを悲しく感じていたと思う。ただ憎しみや悪意のために殺されたのではない。その宿業を演じることは鎮魂だろう。
 優しすぎる恋人の佐野四郎さんも、無垢な弟の飴屋法水さんも、あまりにも愛情深く、この舞台には不向きかもしれない。現実はもっと辛く厳しいものだったのではないかと思う。このような優しさが存在すれば、母親は呪縛の外に出る道もあったかもしれない。そして、事件は起きなかったかもしれない。
 そういう意味で、この舞台は矛盾を抱えていた。母親の閉塞感を表現するのであれば、徹底的に母親を追いつめればいいのである。ひどい家族、ひどい恋人。でも、そういう演出を山崎さんはしなかった。現実にはたぶん、もっと荒んだ男たちに囲まれて、母親は狂っていったと思う。だけど、そうしなかったのは、山崎さんの変化か。前回に観た「僕と僕」から、山崎さんは少し変ったように感じた。もちろん、毎回、なにか新しいものにチャレンジしているのだろうけれど、この舞台からは深い慈悲を感じた。
 描かれていたのは家族の崩壊だったが、完璧なまでの崩壊ではなかった。救いがあった。まるで、死んでいった子どもたちのために演じられた鎮魂の能のように感じられた。演劇は、テレビニュースのように多くの人が観るものではない。劇場は満席だったが、マスメディアの視聴者に比べたら微々たるものだ。でも、多くの役者さんたちによって、あんなに熱心に、強く、心をこめて鎮魂されたことは、ほんとうに救いだ。表現されたものは、必ず世界に波及していく。
 山崎さんは、亡くなった子どもたちに、手を合わせたかったんだろう。自分なりの方法で祈った。それがこの舞台だったと思う
by flammableskirt | 2008-11-29 18:11

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