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田口ランディ「いま、伝えたいこと」
runday.exblog.jp
タブッキな夜
今夜は荻窪の「六次元」で行われた、イタリアの作家アントニオ・タブッキの追悼朗読会に行ってきました。タブッキはとても好きな作家で、私の「オクターブ」という小説は、タブッキの「インド夜想曲」へ
のオマージュとして書かれたものです。今夜はタブッキの「インド夜想曲」と「オクターブ」を少しだけ朗読させてもらいました。久しぶりに菅啓次郎さんにお会いしました。菅さんがタブッキの作品をポルトガル語で読んでくれました。参加者がタブッキへの思いを語り、自分の好きな一説を朗読するという、とても良い時間を過ごしました。最後に菅さんの詩「青空」を朗読させてもらいました。サンパウロの青空をよんだ詩なのに、私が読むと怖い詩になってしまいました……(笑)いろんな人のタブッキへの思いを知ることができて、とても美しい夜でした。店内に流れていた「インド夜想曲」の映画版、偶然ですが、私が朗読するとき、朗読と同じシーンが画面でも流れていた……と参加者が驚いていて、こういうシンクロニシティってちょっとうれしい。タブッキ、やっぱかっこいいぜ!いえい!
# by flammableskirt | 2012-05-25 23:32
講演のお知らせ/ 5月26日(土)築地本願寺
5月26日(土)15時〜16時半
築地本願寺にて講演を行います。
テーマ「死のなかの命」
詳しくはこちらを……

http://tsukijihongwanji.jp/tsukijihongwanji/311
# by flammableskirt | 2012-05-25 07:28
世界の終わりのものがたり
お台場の未来館の企画展である「世界の終わりのものがたり」展に行ってきました。いろんな質問項目に答えながら、世界の終わりについて考えてみる面白い企画展でした。ぜんぜんお金かかっていないけれど、けっこう楽しめる。個人的には「ずっと若くいたいか?」みたいな質問(記憶曖昧)のところに、石川さゆりさんの「天城越え」の現在の歌声と最初の歌声の CDが置いてあって、聞き比べられるのがおもしろかったなあ……。誰かといっしょに行くことをおすすめします。いろんなことおしゃべりしながら回ると楽しいです。一人だとちょっとぐるぐるしちゃうかも。それもいいとは思いますが(笑)
「好きなものを永遠に食べ続けたいか?」みたいな質問(記憶曖昧
)があって、レストランで「終らないナポリタン」というのが食べられると書いてある。おかわり自由のナポリタンなんですって。思わず、レストランで注文してしまったのですが……、閉館まぎわでおかわりはできなかった……し、一皿でじゅうぶんおなかいっぱいになりました。好きなものでもずっと食べなくてもいいや、という体験的な悟りを得ました……。
写真は未来館の天井にぶらさがっていた巨大な地球儀。
かっこよかった……。もっと時間をとってゆっくり回ればよかったな。
# by flammableskirt | 2012-05-24 13:53
数字が示すこと
いつのころからか、数字が、侵食してきた。
twitterのフォロワーの数は、わたしの考えの正しさの評価のようになってしまう。
そう思ってはいないのだけれど、ことばを発して、それが予想以上にたくさんの人のリツイートされると、ああ、このことばは「多くの人に届いたんだな」と錯覚してしまう。だんだん、数が気になりだす。
ブログにも何人がツイートしたか表示されると、数の動向が気になりだす。
そういうことが積み重なっていくと、ほんとうに自分がどうしたかったのか、すこし、あいまいになっていく。
本だって、売れればうれしいし、売れなければ悲しい。昔からこうだったかな、と、思う。
自分の心もちが、変化していることになかなか気がつけないから、すりへっていくんだろうな。
子どもの頃から、通知表には数字が並び、テストには点数がつき、かけっこには順位が……。
それは学校という場所で学力をはかるためのものとして割り切り、数字で評価ができる学力なんて、どうってことないとおもい、
そうじゃないことを、楽しんできたはずだったのに、いまやあらゆる場所に小さな数が並び、それを気にする。
フェイスブックのお友達の数は多いほどいいんだろうか……。
なにかがすごくズレてしまっていて、そろそろ辛くなってきた。
こんな年になって、数という価値と向き合うことになるとは、思いもしなかったけれど……。
この数が真実かどうかなんて、わからないし、数の実体を知るよしもないのに。
増えたり減ったりする数字がいつも、パソコン画面のどこかにあるような情況……以前は、なかったなあ……と思う。
なんだか、気がつかないうちに、ちょっと不自由になってしまったと感じるのは、純粋に私のこころの問題で、つまりこころというのは、そんなふうに、束縛を受けやすく、とても弱い。
数字が表示されることが良い悪いというのではなく、その数字が心になにかしらの作用を及ぼしていることを、気にとめておかなければだんだん数字に侵されると思った。
わたしの心は、わたしの責任において、守らなければいけないんだ……と、最近、とくに、とくに、そう感じるのは、この世界が人の心になにかしら作用するたくさんの装置を、開発し、わたしを巻き込んでいるからだと思う。
ネットは大きく変わってきたし、リンクするように世界も……。
そのなかにあって、数字は、意識して、その影響について、自覚的にならないと、迫ってくる数という価値の強さに飲み込まれてしまう。
内側の世界において数字は、量を計るためのものではなく、評価のためのものでもなく、数字は象徴。シンボル。内側の世界におて量は、ほとんど意味をなさない。
そういう世界がこの現実に重なってここにある。
# by flammableskirt | 2012-05-23 06:54
記念写真
なんの記念なのかわかりませんが、記念写真を撮ってもらいました。撮影してくれたのは友人の写真家にのみやさをりさんです。
日常的にはなんにも変わらないフツーの日々。
だけど、内側の世界ではいろんなことが起こっています。
外と内には違う世界があって、ふたつは微妙に影響しあっている。
ほとんどの時間、外の世界に目が向いていて、内的世界など夢のなかに漏れ出してくる程度だった。
ついに反乱が起きて、内側から招集がかかってしまった。ここにいながら、遠くに旅に出なければならなくなった。
あまりにもおろそかにしてしまった内側の世界に、しばらく目を向けていたので外のことがほとんどできない状態になってしまった。
内側にエネルギーをとられてしまうと、外の世界のことがうまくできなくなってしまう。
支障はあっても覚悟して、たまには内側の世界の物語を生きなくちゃと思う。
いやはや王国は荒廃しており、蔦がからみ、森は暗く花園は枯れて、魑魅魍魎が闊歩し、いかに管理を怠ったかがわかる。雷は落ちるし、死神は歩き回っているし。もうこの世の終わりのような……。たいへんだった。
当然ながら内側に手をつけると、外側にも影響が出て、引っ越しなどしてしまった……。
ようやく内側と外側が少しずつ調和がとれてきて、外側にも力が戻ってきたような感じ。
たぶん、呪縛が解けたことの記念なのかかもしれない。
そんな気がする。気がつけば、もうすぐ夏じゃないか。
夢からさめたような気分。ようやくブログも再開。
# by flammableskirt | 2012-05-22 21:40
パピヨン 死と看取りへの旅


死はすべての終わりなのだろうか。家族の死を通してかいま見たもう一つの世界。
エリザベス・キューブラー・ロスを追って飛んだポーランドで知った信じられない真実。
「パピヨンー死と看取りへの旅」が角川文庫になりました。友人の写真家、マスノマサヒロさんの表紙がすてきです。
大切な方を看取らねばならない人には、ぜひ読んでほしいと思います。
終末医療や介護にかかわる方々にも手に取っていただけたらうれしいです。
関心のありそうな方にはぜひご紹介くださいね。

# by flammableskirt | 2012-04-25 18:29 | 新刊のお知らせ
春の雨
新しい仕事場への引っ越しが終った……。やっと落ち着いて執筆できる環境になった。
昨日、友人たちが手伝いに来てくれて、複雑な組み立て家具も、無線LANの設置もあっという間に片づけてくれたので、今日からなんの不便もなく仕事ができる。出窓が気に入ってこの部屋にした。でも、今日の雨で窓の外の桜は散ってしまいそうだ。家の庭で育てたチューリップを飾った。
# by flammableskirt | 2012-04-14 08:44
日本トランスパーソナル学会・吉福伸逸講演会
日本トランスパーソナル主催
吉福伸逸講演会

日本のトランスパーソナルの中心的人物として、いまや伝説の人となっている吉福さんが来日し講演を行います。現在はハワイに住んでサーフィン三昧……というところが〈レジェンド・オブ・トランスパーソナル〉という感じです。
13時から18時という長い講演会ですが、おすすめです。当日、私は夜から苫米地英人さん、レイニード・アニシモフさんとの鼎談があるのですが、昼間は吉福さんの講演を聴講者として聴きにいきます。トランスパーソナルに興味のある方なら、きっと吉福さんのお話からさまざまなインスピレーションを得ることができると思いますよ。おすすめです。

【講師】吉福 伸逸
【日時】2012年4月8日(日)13:00-18:00(12:30開場)
【会場】杉並区立 産業商工会館(杉並区阿佐谷南3-2-19)
 ○JR阿佐ヶ谷駅 徒歩5分
 ○東京メトロ丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅 徒歩5分
 杉並区のHP 地図(Googleマップ)
【会費】会員4,000円、一般5,000円
  *当日受付でお支払いください
【定員】160名(事前申込みで定員を満たした場合、募集を締め切ることがあります)
 申し込みはこちらのホームページから。
 http://transpersonal.jp/archives/2804

【講師プロフィール】
吉福 伸逸
著述家、翻訳家、セラピスト。早稲田大学文学部を中退し、ボストンのバークレー音楽院へ留学。ジャズ・ベーシストとして活躍後、カリフォルニア大学バークレー校にて東洋思想やサンスクリットを学ぶ。(株)C+Fコミュニケーションズ、(有)C+F研究所を創設。日本に初めてニューエイジ、ニューサイエンス、トランスパーソナル心理学などの分野を体系的に紹介。著書に『トランスパーソナルとは何か 増補改訂版』(新泉社)、『トランスパーソナル・セラピー入門』(平河出版社)
翻訳に『意識のスペクトル』(春秋社)、『無境界』(平河出版社)、『タオ自然学』(工作舎)等多数。1989年以降、ハワイ在住。


※4月8日下北沢19時からの「レオニード・アニシモフ・苫米地英人・田口ランディによる鼎談〈心の上手な使い方〉」は満席となってしまいました。告知が遅れて申し訳ありません。
# by flammableskirt | 2012-03-30 15:38 | Trackback
原発事故から1年・いま、私が感じていること
 
二月十八日、市民が中心になってこれからの南相馬について語りあおうという催し「ダイアログ南相馬」に参加してきました。半年ぶりにこの地を訪れて痛感したのは、予想していたよりずっと、現地と自分がずれていたということです。
 もちろん、福島は広いし、被災も放射能の影響も地域によってかなり異なります。私が南相馬で感じたことがすべてではありません。でも、一年を経てみなさんが福島について考えるうえで、すこしでも参考になればと思いました。

 「ダイアログ南相馬」に参加していたのは、主に若者から、働き盛りの中年世代。南相馬から離れず、自分の故郷で生きていこうとする人たちが集まっていました。
 私が南相馬に行くと言ったとき、ある友人は「え? まだそんなに人が住んでいるの?」と驚いていたのです。
 南相馬市は震災直後に市長がYouTubeを通して世界に窮状を訴えたことで注目されました。そのため、原発に近くて危険な場所という印象を持っている方も多いかもしれません。

 実際には、南相馬の海沿いの地域は、内陸部の山沿いの地域よりも放射線量は低いくらいです。海から吹く強い風によって、放射性物質は飛ばされていきます。やがて山にぶつかり木々の上に降り、葉に付着し、土壌に積もって雨によって流される。自然現象が関与して複雑なホットスポット(高放射線量地域)ができたことは周知の通りです。

 原発には近いですが、南相馬市や川内村の多くの場所は、人が暮らしていくことのできる線量になっています。でも、両地域とも原発から20キロの警戒区域と接しているため、同心円に境界線が引かれており、その内側はいまも立ち入り禁止です。
 線量は30から50センチ間隔で測定しなければ、ホットスポットはわからない。二十キロという線引きがおよそ現実的でないことを地元の人たちは知っており、現実とそぐわない政策のよじれを、自分たちの弱さ、無力さとして感じてしまわれているようでした。

 昨年の7月から、南相馬にも内部被曝を調べるホールボディカウンターが導入されました。たった一台しかないので予約は常にパンク状態。この装置で市民の内部被曝を調査している東京大学の坪倉正治医師の講演には、さまざまな年代の方たちが集まっていました。質疑応答の時間に手を上げて質問した女性は「子どもたちが被曝して鼻血を出した、という話を県外の友人から聞いたのですが、子どもへの影響は大丈夫なんでしょうか?」と不安げに尋ねていました。風評についての質問は多かったです。

 質問を受けた坪倉医師はどう応えていいものか……と悩んでいました。
「そのような症状を訴えて来た人は、私が赴任してから一人もいません」と答え、さらに「私の専門は血液の病気です。もし、放射線による急性の障害が出た場合、鼻血は止まりませんよ。出血し続けます。同時に他の影響も出てきます。たとえば、軽くぶつけたところが内出血を起こす、下血する……などです。ちょっと鼻血が出たなどという軽い症状ではないのです。ですから、どうか安心してください」

 講演のあと、坪倉医師にお話しを聞くことができました。
 現時点において一般市民に放射線によって健康被害が出たという報告はない。もちろん、内部被曝調査はまだ一万人ほどしか行われていないので、もっと調査が必要だが、いまのところはない、と言います。
 ホールボディカウンターと検査人員が増えれば調査が進み、住民の方々ももっと安心するのだろうが、とにかく医師も看護士もどうしようもなく足りない。
「放射線被曝で子どもに健康被害が出ている、という風評は、この土地に住んでいる人たちをたいへん不安にさせています。そういう被害はいまのところ、出ていません。私は科学者ですからそのように言うしかないのですが……」
 坪倉さんは、科学者として苦悩していました。まだ、安全だとは言いきれない。
「でも、4月からここに来て、スーパーで買った食物を食べていますが、被曝などしていませんよ……」

 放射線による健康被害は出ていないが、昨年から野犬に噛まれた……と言って病院に来る人が急増している。20キロ圏内で野生化した犬が圏外に出てきて人を襲うようになっているのだ。また、残っている瓦礫の中で釘を踏み抜いて怪我をした……という人も多いといいます。
「深刻なのは医師不足です。一時期、南相馬はスタッフが避難してしまい病院ゼロの状態になりました。病気になったても治療が受けられない。医師不足は住民の健康には重大な問題なのです。国はもっと真剣に取り組んで欲しい」

 私は原発には反対の立場です。それはずっと変わっていません。でも、原発反対を訴えるために、未確認の情報をtwitterで流すことは慎まなければならないと感じました。福島の多くの人たちは、故郷に誇りをもっており、故郷で生きていきたいと願っているのです。

 事故から一年を経過して、ようやく汚染の現状が明らかになりつつあり、細かな汚染地図もできてきました。現実的な未来への展望が開けています。
 危険か安全か……という二極化した議論は、現地にいない者の頭の中で展開します。実際に生活している人たちは、もっと実際的に「生きる工夫」をしながら困難と立ち向かっていました。私は、それが生活するということだと思います。この世に「絶対に安全な地」は存在しない。生活者は生まれ育った場所で様々な困難や危険を一つひとつ解決しながら生きています。その場所で暮らし、子どもを育て、老人を介護し、生きる……ということは、不具合や理不尽との格闘なのです。

 除染という問題に関しても、現場と世論では奇妙なズレがあることがわかりました。除染を奨励する世論は圧倒的に強いのですが、現地に行ってみると除染の問題はとても複雑でした。交付金が本当に有効な除染に、適切に使われているかどうか、疑問に思っている人たちが多かったのです。
「どうせ、除染のお金で誰かが儲けているんだろう」と、冗談のように言う庶民の直感を、無視できないと思いました。
 ほとんどの住民が避難しているような地域の公園が除染され、削り取った表土にビニールシートをかけて置いてある光景を、川内村で見ました。そのビニールシートは業者指定であり、一枚が一万円以上するのだそうだ。
 必要な除染もあるけれど、意味不明の除染も多い……と、住民の方たちは感じています。住民側が必要な除染をするための手続きが面倒だとも言います。何千億もの除染費用は、ほんとうに住民の暮らしのために使われるのか……疑問に思う人が多かったです。
 地方行政に携わる人たちは「(国が)もっと自由に使えるお金を回してくれなければ地元に役立てることは難しい」と怒っていました。
 「ダイアローグ南相馬」に参加していた桜井勝延市長は「国を頼っていても疲弊するばかりだ。自分たちの智恵で立ち上がっていくしかない」と市民に訴えていました。

 私は昨年から、福島の子どもたちに長期間、北海道の林間学校で過ごしてもらうというプロジェクトを応援しています。「ふくしまキッズ夏季林間学校」には八〇〇人の子どもたちが参加。冬のプロジェクトは国内の地方自治体に声をかけて子どもたちを分散的に受け入れてもらいました。
 そのとき、福島の親ごさんから「横浜は放射線量が高いのでちょっと……」という声が出てはっとしました。
 お母さんたちが、どれほど「放射線」という見えない不安に脅かされているか、実感として伝わってきたからです。 心の不安は数値で表すことができない。だから深刻なのだと思いました。心が放射能で汚染されると、それまでの慣れ親しんだ温かな日常が、恐ろしい毒をもった世界に変貌してしまいます。それは個人の内面に起こる変化なので、他者には理解できないことが多く、不安な人は理解されない絶望を味わいどんどん孤立していくことになります。
 心のケアを……と言うけれど、いま起きているのは人類があまり経験したことのない「わたしたちの町が放射性物質に汚染される」というシュールな現実で、「ケア」することはたいへん難しいのです。
 そのため「数値」という目に見えるもので、危険を量ろうとするのですが、ガイガーカウンターの示す数値で「私はガンになるのか?」という問いに誰が答えられるでしょうか。
 専門家や研究者の方たちは「その程度の被曝線量では健康に害はありません」と言います。それは科学的な答えでしょう。でも私にはこんなふうに聞こえます。「お尻を触られても死なないから大丈夫です」と。「気にするな」と言われても、毎日お尻を触られていたら嫌でたまらないですよね。そのことを理解されなかったら、ほんとうに病気になってしまうかもしれません。

 物事は法律にのっとって合理的に解決できると多くの人は考えるけれど、目に見えない放射線の問題は法律や医療制度で解決できる部分が少なく、個人がそれぞれに現実をどう受け止めるか……という、人生観や価値観、あるいは死生観の問題とからみあってきます。福島に暮らす方たち、一人ひとりが、心に葛藤を抱え、なんとか自分の心をなだめ、現実と向き合おうと苦しんでいる。その、葛藤の苦しみのなかで生み出されることばは、深かったです。

 震災直後からパンを焼き続けて被災した方たちを支えてきた、「ふわふわパン工房パルティール」の只野さんご夫妻。お店の真ん前は小学校。以前はたくさんの子どもたちが行き来していたそうです。
「もうぜんぜん、表で子どもの姿を見ません。子どもたち、どこにいるのかなって感じです……。外で遊んでいる姿も見ません……」
 お二人は全国から小麦粉の支援を受けながら、ひたすらパンを焼き続けてきました。私が訪れたその日も、閉まっている店舗が多いなかで朝から焼き立てのパンが並んでいました。なにげない日常を維持することの大切さを、温かいパンを食べながら痛感しました。

 坪倉医師は「子どもたちが外で遊んでも、洗濯物を干しても、大丈夫な放射能量です。もちろん、まだまだ注意は必要ですが、あまり不安になりすぎるのはかえってストレスだと思います」と言っていました。
 大丈夫、絶対に危険がない……とは言いきれない。まだ、観察が必要である。でも、だからといって「危険を煽る」のは現実的ではない。
 私は大学院の研究を中断し、南相馬で内部被曝調査を続ける若い医師に共感しました。彼の中の科学者としての自分と、一個人としての自分が激しくからみあい対立していたからです。個人的な意見なら大丈夫ですよと言って地域の皆を安心させてあげたい。でも、科学者としては正確な数値化された情報がなければ安全とは言えない。その葛藤が、お話しているとびしびし伝わってくるのです。彼は終始、苦しそうな表情をしていました。
 ここで暮らすために、どう放射線とつきあうかを、実際的に考えていくことが大切なのだと思いました。花粉の季節に花粉とつきあうように……。

 他の地域では、また事情が違うでしょう。
 飯館村や伊達市……、それぞれの土地にそれぞれの事情があります。この世の有り様のすべてをわかることなんてできません。だから、わからないという謙虚さを、大切にしようと思います。
「福島に来てください。現場を見て発言してください」
 いろんな方に言われました。あなた方は現実を知らなすぎると……。

 一年を経て、原発の問題は矛盾を孕みどんどん複雑化しています。だから感じるしかないことがある。なにも終息してはいない。始まったばかりです。
 一人でも多くの人が福島を訪れ、そこで生き、暮らしている人たちを、頭ではなく心で感じてくれることを願っています。現実を見れば、単純に善悪でなにかを語れないことがわかる。そうなれば、心に葛藤が起こります。その葛藤が、私と福島の人たちをつなぐ絆なのだと思う。共に矛盾を抱え、悩むむことから、問題を共有できる。だから、現実を知ることは大切だと思うのです。わかるためではなく、悩むために。

坪倉さんのインタビュー
http://www.asahi.com/health/feature/drtsubokura_0301.html


# by flammableskirt | 2012-03-08 12:31
傷と気づき
「なぜ過剰なセックス描写のある小説を書くんですか?」と聞かれることがある。私の作品の一部は確かに「官能小説」とか「エロ小説」と呼ばれる部類に入るほど性描写が多いし、最初にそれを読んだ人はたぶん「田口ランディはエロ作家」と思い、そういうものが嫌いな人は二度と読まないだろうし、そういうものが好きな人は他の作品を読んでがっかりするだろう。

 実は、なぜ過剰なエロスを描きたいのか……ということについて、もちろん私はまったく自分でわからないで、十年以上が過ぎてしまった。それは、出てくるから書いてしまうのだ……としか言いようがない。
 単純に解説してしまえば、それは作者本人の性欲の発露ということになるかもしれない。だが、性欲がたまっているなら現実にセックスすればいいわけで、それを書いたから発散できるというものではないのであり、書いてしまうほうが逆に性欲が高まるのではないか、と思う時がある。

 正直に言うが、セックスを描いてしまうということと自分の性欲とはほとんど無関係だと思う。自分なりに十年を経て、そのような結論に達した。では、なぜか……。セックスを描けば売れるなどと思って戦略的に書いているわけでもない。そんなものは逆効果だと思う。私の読者は30代前後の女性が多く、あんなものは読みたくないのではないかと思う。そういうあざとい気持ちがあって書いているわけではなく、とにかく書かずば済まないので書いてしまうのである。

 そして、昨年「私の愛した男について」という短い作品を描いてから、なんとなく、もうこういう性描写は最後かもしれない、もう書かないかもしれない、これが最後かもしれない……と思ったのは、描いているうちにその痛さ……のようなものに、自分が耐えられなくなったからだった。

 これは自分でも不思議な出来事だった。描いている自分が傷ついていることにようやく自覚できたというべきか。しかし、なぜ「痛いのだろうか」と、また自分でしばらく考えてみたのだが、なかなかわからなかった。自分の心というものは自分が一番わからないものだ。都合の悪いことはわからないように防衛しているからだろう。
 性というものは、私のなかに残っているかなり「野性」の部分だと思う。「野性」というのは抽象的な言葉なので、なにをもって野性とするか人によってずいぶん違うと思うけれど、私にとっての野性は本能に近いかもしれない。本能というものを人間はなかなか意識化できないけれど、セックスは誰もが体験できるのに特殊な行為であるから……男女が密室で裸になる、というのはそれなりに特殊な状況であると思う……意識化しやすい野性という意味だ。

 私はたぶん血筋的なこともあると思うのだけれど、思春期の頃から感情的で興奮しやすく、情緒不安定な自分というものを、どうやってコントロールして社会生活を営んでいくか、それがずっと大きな課題であり、挫折を繰り返しながらも必死でバランスを取り、社会の中で落ちこぼれないようにがんばってきた。
 外側から見れば自分で会社を作ったりして、それなりに立派な社会人をやっているように見えたかもしれないが、20代から30代は暴れ馬に乗っているような感じで、自分の野性をなだめて走らせることに全精力を使ってきたと言ってもいい。エネルギーも並外れて大きいが、暴走したら身の破滅であることは理解していた。

 境界性人格障害の父も、引きこもりで死んだ兄も、たぶん自分の中から吹き出してくるえたいの知れないエネルギーを、うまく解放することができなかったのだと思う。もしかしたら、私は二人を間近で見ていたから「失敗したら危ない」という危機感を常にもっていたので、十代の頃から心理学書を読み、サイコドラマのワークに参加したり、分析を受けたりして、無意識からわきあがってくるエネルギーの一部を社会生活や趣味に使う方法を習得していったように思う。

 私の趣味の範囲は相当に広く、特にマリンスポーツ……ダイビング、ヨットレース、シーカヤックなど、わりあいと命がけのことばかりチャレンジしてきたが、それも、海という無意識の象徴と対峙し、命をかけて自分をコントロールする方法の習得だったかもしれない。

 40代から作家の仕事を始めて、私はたぶん自分の中にあるとても暗い野性というか、女性性の暗部のようなものを、あえて書くことで表出したかもしれない。それは常に「侵食される性」として捉えられてきた。そのように女性性を感じていたのは私が家族として過ごした父や兄による、母への偏った愛情表現によるのかもしれない。
 暴力を受ける母親……というものは、私の中にとても根強く残っている。それは、あまり記憶にない……ということに証明されるように思う。映像の記憶としてはほとんど2つくらいの場面しか思い出せないのである。あとはすべて、無意識の底に沈んでへどろと化しているのだろう。

 忘却してしまいたいことを、別の形で意識化していたのかな、と思う。ある意味、私の女性性は(あくまでも内的に)傷を受けていたようだ。それを回復することができたのかどうか、私にはわからない。少なくとも、性を描くということは、回復するどころか傷口を広げていたような気がする。

 作品というものに投影された「暗い野性」に、たぶん読者のある一部の方は傷つけられ、読みたくないと感じたと思う。そして、ついに自分もそれに傷ついてしまうようになったことは、ほんとうに意外な気づきだった。私は自分の作品によって自分がずいぶんと癒えてきたけれども、激しい性描写の作品によって癒えたと感じたことは、そういえば一度もなかったことに驚いた。
 では、なんでわざわざ自分を傷つけるために書いていたのだろうか……と不思議だった。もしかしたら自傷行為のようなものだったのか。人間の心はわからないものだなあ……と思う。たとえそれが外側の世界の思考からすれば、無意味で無価値に思えようと、それが出てきたということは私の内面の世界にとってはどうしても必要なことだったのだろう。どう必要なのか、理論的に考えてもわからないかもしれない。

 とにかく、私が学んだことは「無自覚に外部に投影した野性によって自分がダメージを受ける」ということだった。
 それはあらゆる暴力に関してそうなのだ……ということだ。他人を殴ることでも、リストカットでも、人を口汚くけなすことでも、子どもを感情的に叱ることでも……。外に向けて放った暗い本能で傷つくのは相手と同時に自分で、それは外傷ではなく内傷で、外傷は時とともに治っていくけれども、内傷は自覚することによって意識の光を当てないと回復できないものらしい。

 内傷によってなにが起きるかといえば、魂の一部が岩にこびりつくフジツボのようなもので覆われてしまうということ……のように感じる。これは私の、私だけが感じるイメージにすぎないけれど、ある部分がとても固くなってギザギザになっていたような感覚があるのだ。だが、ギザギザになったから気づけたのかもしれない。
 そういう感覚的な気づき……のようなものが、なぜ感じられるようになって、ああ、もうこれで終わりだなと思えるようになったのか……。たくさんの時間が経過したからとしか言いようがない。
 いつか、この気づきについて、……この名状しがたい不思議な感覚について、他者に伝えられるような物語にできたらいいなと思うのだけれど、まだ当分、時間がかかりそうだ。

# by flammableskirt | 2012-02-27 11:05
いま、べてるの家について思うこと。
もう数年前になるけれど、東京大学にまだ上野千鶴子先生がいらっしゃった頃、上野先生の企画で「べてるに学ぶ降りてゆく生き方」というシンポジウムが開催された。
上野先生は「浦河べてるの家」に何度も通われて、べてるの家の思想……というか、たぶん、べてるという場の持っている価値観に共鳴されていたのだと思う。東大という「昇っていく生き方」の象徴のような場所に、べてるの家の人たちがたくさん呼ばれて、そこでシンポジウムと分科会が行われた。私はその時、パネリストとして参加していた。

「べてるの家」のことを知らない人もいると思うけれど、ここで説明をすると長くなってしまうので、興味のある方は「べてる本」と言われる、べてるに関する書物を読んで、べてるの家とはどういうところかご自身で感じてほしい。
私は2002年頃からだろうか……、べてるの家という存在を本で知り、ここの方たちと交流し始めた。かれこれ十年近くこの存在を気にかけているけれども、なにかまとまった作品として発表したことは……そういえばなかった。

シンポジウムの席で、他の出席者の人たちは、たいへん高学歴で地位のある場に着いていながら「降りてゆく生き方は、今の時代にたいせつだと思う」とおっしゃった。私にはさっぱりわからなかった。ほんとうにわからなかった。私はそのときこう発言した。
「私は降りたくありません。一生懸命に上ってきたし、これからも降りたいとは思わない。できればもっと上りたい」……と。
その場でだったか、後でだったか忘れたけれど、Mr.べてると呼ばれる、かなり重い統合失調症の潔さんという方が、
「ランディはビョーキだな。いつでも、辛くなったらべてるに来ていいからな。身体ひとつでべてるに来いよ」
 と、私に言うのだ。
私はこれまた、驚いてしまった。
「私がビョーキなの? 私は正直なだけだよ。みんなだって本当は降りたいなんて思っていないと思う」
潔さんは笑って、
「だから、ランディはビョーキなんだよ」
 と、また言うのである。
「いや、私はぜんぜん精神的には病んでいないし、医者にもかかっていないし、申し訳ないけれど、かなり健全に生きていると思うよ」
すると、潔さんは
「ははは、だからビョーキなんだべ」
と、譲らないのである。でも、これ以上、自分は正常だと言い張ると、なんだか統合失調症の潔さんに悪い気もしてきて、私は渋々「そうか、ビョーキなのかなあ」と言い、「でも、具合が悪くなったらべてるがあるから安心だね」と笑ったのだった。

その頃、私は本当になぜ自分をビョーキだと潔さんが言うのか、私には謎だった。私は家庭をもち、職業をもち、かなり立派に社会に適応して生きているのではないか……と。私の家族は確かにビョーキだったが、私は健常である……と思っていた。
あれから、ずいぶん時間が経って、ようやくこの頃になって、潔さんの言っていた意味がわかるようになってきた。

あの時、潔さんはたぶん、私を「仲間だ」と思ってくれたのだ。それはなぜかと言えば「私は降りたくない」と言ったからだ。

なんらかの精神的な病を発病してべてるの家に集まって来ている人たちは、たぶん、必死になって「降りたくない、降りてはいけない」と階段にしがみついていた人たちなのである。こんなに社会が昇れ昇れと言っている階段を、昇れない自分は情けない、昇らなければいけない、だから昇るのだ。降りてはダメだと、相当にねばってきたのだ。

でも、社会が望む生き方は、彼らの心の内側からあふれ出してくる「自分らしい生き方」と対立してしまい、その対立によって自分の内面が引き裂かれてしまい、どうしようもなくなって精神病として発露してきたのである。ほんとうの自分を生きる……ということがどういうことなのか、多くの人はわからないし、私もわからなかった。自分は、ほんとうの自分を生きているように思い込んでいるし、それで、案外とうまくやってしまえれば、一生、社会が決めた価値観に添って生きることを不自然とは思わない。

だから、自分をたいせつに生きる……という点から見れば、べてるの家の人たちは「選ばれた人たち」だろうと思う。おおよそ、病気になるという体験を強いられる人たちは「自分とはなにか」を知ることのために、選ばれた人たちなのだ。いったい誰から選ばれたのだ?と質問されれば、私は「人類から」としか答えようがない。神などではなく、人間という意識をもった種のなかで選ばれた人たちなのだと思う。

潔さんは「降りたくない」と主張する私の内面にある、「降りたいけど、降りられない」という対立を、素早く、察知したのである。内面に「降りたい」という欲求があり、それに気づいているから反動形成として「降りたくない」という強い抵抗が出てくる。その対立が激化すると、時として発病という形になるのである。だから、潔さんから見れば、すでに私はビョーキであり、ただ症状がまだ表面化していないだけ、と思えたのだろう。

「降りていく生き方はすばらしい!これからの日本人には必要な価値観です」と、まったく自分を勘定に入れずに客観的に蚊帳の外側で語る人たちのことを、潔さんは「対立を避けている人たち」として全く相手にしていなかった。そういう人たちは、永遠に自分の問題として「降りるか昇るか」など考えず、実はほんとうの自分というものにも興味も持たず、ただ、社会の価値観を受け入れて生きることができるのだ。

そういう人たちに、いくら降りていく生き方なんて言っても、頭でわかってくれるだけで、自分には全く関係ないこととして素通りしていくだけだ。そう感じていたのだと思う。
そして「降りたくない!」と言う私の、私ですら気づいていなかった内面の葛藤を、感じとったのだろう……。

最近、ある知人から「べてるの家に対する批判が出ている」という話を聞いた。べてるの家のことはマスコミにずいぶんともちあげられてきたから、そうなったら自然の法則としてあがったものはさがる。それは納得できる。たぶん「べてるの家の人々は選ばれた人々だ」などと私が言うと、それも批判の対象になるのだろう。彼らを過剰に評価しすぎだ……というように。

ことばは難しい。選ばれた……ということを「選民」のようにとらえてしまえば、確かにべてるの家の人たちを特別扱いして敬っているように見えるかもしれない。でも、私が伝えたいのはまったく違うことなのだ。 

選ばれる……ということは、受難なのである。それは、苦しむ者として選ばれたということなのだ。人は一人ひとり違う。バラバラに生まれてバラバラに死ぬ。一人として同じ人はいないけれど、おおむね同じ環境に生まれれば、同じ環境で同じようなシステムの中で育てられる。

それでも、どんな親に生まれて、どういう家庭で育つかは、かなり違いがあり、生まれてみたら親と環境が待っているのであり、そこで生きていかざるおえない。

かなり違うのに、かなり同じ社会条件のなかで、人は生きていかなければならない。私はアルコール依存症の父親の元で育った。一見、普通の家庭に見えるが親がアルコール依存症だと、その家庭で育つ子どもの内的な世界は全く異なる。親は自分を保護してくれず、嘘つきなのである。子どもの頃から欺かれる。理不尽な対応をされる。そういう中で、逆に人間とはどういう存在か、とか、この自分の苦しみはなんだろうか、とか、考えざるえなくなる。社会がどんなに「人間のすばらしさ」を説いてくれても、それをおいそれとは信じられない。「そんな単純なものじゃないんだ」という気持ちが育つ。社会と自分の内的世界の亀裂を子どもの頃から体験する。対立する二つのものの間で緊張しながら生きていく。

疑い深いと言ってもいいかもしれない。なにか違うと思っている。なにか違うと思っているのに、我慢して社会に合せているから、内的な自分が統合できずに統合失調症となるわけで、この病名はうまく症状を表しているなと思う。

私はかなり努力して、社会性を育ててきたし、この社会の中で適応するために努力もしてきた。家庭をもち、子どもも育て、両親も看取った。そうしながらも、自分のなかには別の自分もいて、その自分はとてもあまのじゃくで、世論とか、正論というものにいつも疑問をもっていて、なにか違うと思っていた。

死刑には反対だが、死刑反対にも反対なのである。原発には反対だが、原発反対には反対なのである。なぜなら、そこの道に進むとほんとうの自分とはズレてしまうからだ……。私の個別の考えを他者にわかるように説明することのなんという困難。このような内的葛藤は、とてもストレスで、心のなかでいろんな考えが渦巻いていて、時々、軽く発病する。

内的な葛藤に興味のない人……というか、あまりそれを経験しないでもよい人生を送って来れた人たちは、自分の自我を揺るがすような葛藤を怖れるがゆえに他者を批判して叩きつぶすことがよくある。怖れから生まれる怒りという感情は、とかく正義と結びつきやすい、人間の心の恐るべき影だ……。

震災以降、自分のビョーキは重くなっているように思う。原発に関しても、支援ということに関しても、心のなかでいくつもの自分が対立し、言い争い、その背後にある自分らしい行動……というものと触れ合えないことで、苦しんでいる。発病しないために、この対立に耐えるだけの強い自我と、自分をより深く知るための内向性が必要となった。たぶん、私がアール・ブリュットという絵画表現にとても惹かれているのは、自分の内的な世界を守ることと関係していると思う。

べてるの家の価値を社会的に見てどうか……という議論は、私には無意味に思えてしまう。私が彼らから学んだのは「私は降りたくない」と思っているとうことであり、それゆえに彼らの仲間だった……という自分自身の二重性だった。「降りましょう、降りましょう!」と言って降りられる人、「降りるのはすばらしい」と言って自分とは関係ないと思っている人、そのような人たちにとっては、べてるは全くどうでもいいことなのだと思う。

自分にとってほんとうではない生き方のために、病気になる……という、この受難を受け止めた個々が、あの場に集った。そこで三〇年の時間をかけて生まれてきたものは、彼らにとって意味あるものかもしれないけれど、受難を「受難」として経験しない者が(罰や報復だと思っている人たちが多い)同じものを作ろうとしても無理だし、外側からいくら研究してもわからないだろう。

いつだったか、べてるの下野くん……もう亡くなってしまったけれど、彼が言っていた。「いいんだよ、俺たちはないを言われても、どうせわかってもらえるわけないんだから、怒っても無駄なんだよ」
その時、私はあまりにも外側からべてるを分析しようとする研究者に対して、怒っていたのだ。下野くんはそんな私に「まあまあ、そんなに怒らないで」と言ったのだ。

あの時、分析している研究者も、怒っている私も、下野くんには同じように見えたんだろうなと思う。どちらも中心に自分がいない。そうなんだよ、私はあのとき、まだ自分のことすらわかっていなかったんだよ、下野くん……。

※現在発売中の小説新潮に「サンカーラ」という連載を書いています。震災以降、自分がどのように自分の内面にあるさまざまな自分と対話し、矛盾と向き合おうとしつつ、挫折しているか……について書いています。もし、興味のある方は読んでみてください……。





# by flammableskirt | 2012-02-25 13:13
暮れていく、暮らしていく。
「暮れる」ということばにつかまってしまいました。
きのうの夕方、ぼんやりと外を歩いていて「ああ、今日も暮れていくなあ」と思ったとき、ふと、暮れるって、不思議なことばだなと思ったのです。
暮れるって、どういうことだろう。
陽が落ちて暗くなっていくことだと思うのだけれど、このことばには、なにかこうとても温かな響きがあるように感じる。
「暮れなずむ」という表現があるけれど、暮れなずむ町って、どんな町だろう。イメージとしては浮かぶのだけれど説明がうまくできませんし、説明するととてもつまらない感じがします。
「暮らす」と「暮れる」はとても似ています。じゃあ、暮らすってどういうことなんだろう。暮れていく日々を受け止めて生きることなのかな。
もし「暗れる」「暗らす」だったら……ずいぶんみじめな感じがします。
「暮らし」というのは日々の生活だけど、これが「暗し」だったら、ちょっと悲しい。だけど、暮れるということばには、暗くなっていく様が確かに感じられるから、暗くなる……ということを、別の視点から見たことばが「暮れる」なのかな。
 一日が終って暮れていくとき、ほっとします。暮れるということばのなかには「さあ、夜の休息の時間になりますよ」という、なぐさめが含まれている。途方に暮れる、という言葉は「どうしていいかわからないので、ちょっと一休みしている」みたいな感じがある。
 夜の闇は、ただ恐ろしいのではなく、孤独なのではなく、ぼんやりとした世界に人を包み込んでくれて、そこには、意識の届かない眠りがあり、眠れば夜は明ける。暮れるというのは、意識が夜の世界の休息に入っていく感じがある。
 「暮らし」というのは、そういう休息の状態を大切にしながら生きることなのかなあと思う。ただがむしゃらな生活ではなくて「暮らし」と言われたときに、なんだかふっと肩の力が抜けるのは、この言葉が夜をとても優しいものとして含みこんでいるからなのかな。
 明るいと比べてしまうと、暗いというのはどちらかと言えば否定されてしまいがちなことばだけれど、暮らしというのは「暗い」ことの優しさを教えてくれている感じがある。ぴかぴかの明るさが作る影は濃い。でも、うすぼんやりした暗さというのは、心が落ち着く。そういう落ち着きのなかで、生きていく生活を「暮らし」というのかもしれないなあ。
 そんなことを考えて、昨日は暮れていき、そして今日も……。


# by flammableskirt | 2012-02-23 13:03
埋葬
年を重ねるごとに、じぶんはごうまんであったと思う。
あまりにもものを知らなかったし、知らないということに気づくことすらできなかった、わたしというものが誰なのかもわからなかったし、なにがほんとうでなにが嘘かもわからなかった。
いまも、わたしはあまりにもものを知らないし、一日のなかで知らないということに気づいていられる時間は短く、わたしがどのような顔をいくつもっていて、日常にあふれかえるたくさんの言葉のなにがほんとうでなにが嘘かもわからない。あいかわらずわからないのだけれども、年を重ねるごとに、じぶんはごうまんであったと思うようになったのは、以前よりもずっとことばがざっくりと身体に刺さってくるからだろう。
だれにたいしての何にたいしてのことばも痛いのだ。
その人のことをなにも知らない。その人が朝起きたときなにを最初に考えるか。その人にどんな父や母がいて、どんな子ども時代を送り、なにを大切に思っているか。なにも知らない。それでも、ほんのわずかな、聞きかじりのことばでもって、ばっさりと相手を切断し、てきとうに調理し、並べて、ほらねこんなくだらないのよ人間って……と言っているかのようなことばに触れると、哀しい。
バラバラになった頭や、腕や、足や、指、その断片を拾って、大地に穴を掘って埋めて祈りたいと思う。ことばを悼んで、ことばをもういちど土に埋めて、地中のみみずや蟻たちの力で分解させ、泥にもどして原初のちからを復活させてあげたいと思う。
どうじに、じぶんもそのようにことばを大地から分離し、その力を奪い、ごうまんにもことばで世界や人間を切り取り、切断し、並べて、悦にいっていることを思い出し、しかも、それはわたしに属しているきわめて人間的な一面であることに間違いはなく、このごうまんさと、死ぬまでつきあっていかなければならないこと、それがまぎれもない自分であることに、やりきれなくなる。
気をぬけば、無自覚に、ことばを使ってしまう。
「ほらね、すべては単純なのよ。こんなにくだらないのよ、世の中は。こんなに俗悪なのよ世界は」と、笑いながら切り刻み、安っぽいことばの器に腕やら足やら頭やら並べて、さあ、わたしのお手並みはこんなもの……と、人間存在を手玉にとるごうまんさを、あたかも力であると勘違いして、誰かのたましいを踏みにじってしまうのだ。
それを、見るのも聞くのも辛いが、そのくせ、おなじことをしてしまう。
見ないわけにはいかないが……、それでも、哀しい。
ことばが死んでいくのを、感じながら、一日の終わりに「ごめんなさい……」と祈る。
どうか、どうか。明日、埋めた死骸から、新しい命が芽吹いていますように……。



# by flammableskirt | 2012-02-15 16:20
荒れ野に立って
 このささやかなブログを、友人のみなさんが読んでいてくれることに、今回、あらためて気づき、あたたかな気もちになりました。身体の具合もずいぶん良くなってきているし、インフルエンザの菌ともそれなりに調停を結び、いまは少しずつ、身体を動かして、とくに《歩く》という日課を取り戻そうとしています。続けていた気功太極拳も、朝陽の温かい日をきっかけにして呼び戻せたらいいなと思っています。

 3月11日から一年……という原稿を、いくつかお願いされています。
一年といえば……実は昨年の2月13日は、佐世保の「オトヒトツ」というバンドを招いて六本木でライブを企画していました。ですから、その日のことはとてもよく記憶しているし、あの時、自分がなにを感じてどんな気分だったか……ということもありありと……思い出すことができます。

 その日は朗読会も行い、いろんな音楽家の友人とコラボレートで朗読をしてたいへん刺激的で楽しかったのです。小説を書く以外のことで、気晴らしをしていた……ような感じでした。

 今年の2月13日は、まったく違う気分で違うことを考えていました。インフルエンザで体調がいまいち戻っていない……ということもありましたが、とても内向的になっていて、自分の内側の海、わたしという海へ潜り込むようにして、これまで見ることがなかった私の海の世界を一人で探険しているような気持ちでした。ほとんど外に出ることもなく、誰かに会うこともなく(菌をうつしてしまうから)、追想のなかを漂っているうちに、気がつくともう一日が終ったりしているのです。

 ここ数日、わたしがひっかかり感じていることは「犠牲」ということです。どうしても「犠牲」ということばの意味を頭でしか理解できないでいました。でも、いまはっきりと「ああそうか……犠牲とは……こういう感じだったんだな」と、なにかがすとんと腑に落ちて、ことばがわたしの血肉となりました。ことばのリインカネーションは、ふいに起ります。ことばが再受肉される瞬間はとても神秘的ですが、それを、使い古したことばでどのように表現していいのかわからない。それは、夢で体験したこととよく似ていて、わかっているけれども、ことばにできないもどかしさをともなうのです。

 なので、忘れてしまわないように、ことばにできないことは忘れるのがとても早いので、この《感じ》を忘れてしまわないように、日に何度も確かめて、身体で《感じ》を思い出し、皮膚や神経に刻みつけようとします。
 それでも、数日経つと、消えてしまっていることもあり、そういう時、とてもがっかりするのです。あんなに確かだった《感じ》が消えてしまった……と。もう一度、あの《感じ》をつかまえることができるんだろうか……と。

 この一年で、わたしは、自分でも気がつかないうちに、ものすごく内向的になっている……という気がします。ずっと外に外にと向って活動してきたように思っていたけれど、外に向うのと同じエネルギーで内へ内へと向っていたのかもしれない。あまりにもエネルギーの落差が大きかったから、たぶん、へとへとにくたびれて、それで精神力を使い果たしてしまい、身体がすり切れて停止状態になったんじゃないか……そんな気がしました。

 昨年は義母と義父が相次いで亡くなり、特に義父は在宅で看取ったものですから、年末にかけてケアマネージャーの方や、介護師さん、訪問看護の看護婦さん、在宅医療の先生……、介護ベッドの営業の方から、葬儀屋さん……と、ほんとうにいろんな方たちが日々家を出入りし、家でのお通夜、そしてお葬式でしたので、のべにしてどれくらいの地域の人たちのお世話になったか。すべてが終って家の掃除をしたら、気持ちがぽかんと空白になって、今年のお正月はほんとうに、きらきらと光が散乱するような、まるで、あの世がこの世に重なって見えるような、静かで透明な日々が続きました。

 そういう中で、体調はどんどん悪化していき、何度も検査を繰り返し、病院で血をとったり、造影剤を飲んだりしていると、たくさんの病んだ方たち、もう歩くこともずベッドに寝たまま点滴につながれているお年寄り、そういう方たちとすれ違います。

 最期まで家族と会話し、口から水を飲み、自然に呼吸が止まって亡くなっていった義父の最期を思うと、死ぬことをどういうふうに家族がとらえていくかで、死の意味合いがずいぶん違うこと……、なにが良いとか悪いとかではなく、たとえ認知症であったとしても、誰もがもっている内的な世界を大切に思うことがどれほど難しいことか……を痛感するのでした。

 十四年前に母親を看取ってから、実父、義母、義父とさらに看取ってきて、母親の時とは自分の考えや行動がとても大きく変化していることに気づきました。母親が脳出血で倒れたとき、わたしはなにもわかっていなかったし、わたしの内的世界はとても小さく空疎でした。だから、昏睡状態になった母親の心の世界、無意識の世界で起っている変化にほとんど気づくこともできず、看取りの余裕がまったくなかったことを、痛感するのです。

 そして、あの時、なぜ母が目を開けたか、あの時、なぜ母の顔の上に小さな蜘蛛が糸を垂らして落ちてきたか、あの時、なぜ母はだれもいない部屋で息を引き取ったか……、意識化されてこなかった記憶が、ふっと甦ってきて、ああ、そうだったか……と思うのですが、それもまた夢のなかの出来事のように言葉にはうまくできない《感じ》として察知されます。

 わたしの一年は、ことばにできないものを《感じ》として受け止め、それをつなぎとめようとする一年、ことばにできない想起を、手で触って形を確かめているような一年、そんな一年だったかもしれない。
 あまりにも、自分がないがしろにしてきてしまった、内側の世界に目を向け、甦らせるための一年だったような気がしてしょうがないのですね。

# by flammableskirt | 2012-02-15 10:50
インフルエンザ
年末に義父が亡くなって、しばらくぼう然としていました。看取りの疲れというのは時間が経ってから感じるもので、なんだか身体の調子が戻らなくて、ひとつひとつの不具合をていねいに検査していったのですが、けっきょくのところ、最先端の科学技術を使って細胞まで調べても、どこも悪いところはなかったのです。疲労とストレスでしょう……と言われてしまいました。
人間がいつまでも元気でいられるわけはない……とわかっていても、昨日と違う今日の体にうまく馴染めなくて、雪崩の埋もれた人が雪のなかでもがくようにもぞもぞとしていたら、すこしずつ雪とのあいだに隙間ができて、ある日、自力で抜け出すことができました。ああ、よかった……と思っていたら、講演旅行に行ってインフルエンザに感染し、先週の月曜日から高熱が出てまたしても寝込みました。
毎晩、大汗をかいて何度も着替え、そうしているうちに菌もおとなしくなってきて、金曜日から外出許可が出たので仕事を再開、イタリア大使館でいろいろな国の方たちにお話をしてきました。人と会うとインフルエンザをうつしてしまいそうで、気が気ではなかったのですが、ようやく今日あたり、いつもの身体の落ち着きが戻ってきて、やれやれ……とほっとしています。

いろんな用事が、もう手のつけようもないほどたまっていて、確定申告の季節でもあるし、締めきりや、キャンセルしてしまった約束や、そういうことを考えると、少し憂鬱になります。考えてもしょうがないことを考えて憂鬱になるほどつまらないことはないので、考えずに淡々とできることから片づけているのですが……。こういう時、ほんとうに自分をとるにたらないちっぽけな生き物だなあ……と思います。この私が、なにかしようとしまいと、世界はなに一つ変わらずにちゃんと動いていくのに、自分ができなかったささいなことを気に病んで、朝のお茶も味わえないような……。そんな心のありようでいては、ものごとを大きくとらえて流れにまかせつつ、変えるべきところを変えていくような力技はできるわけもない……。バタバタせずに、脱いだ靴はちゃんと揃えて、そっと歩く……。空気を柔らかく保つにはゆっくり動くことが大切だなと思う。空気を錬るようにゆっくりと……。


# by flammableskirt | 2012-02-13 11:51
福島泰樹×ドリアン助川×月乃光司ジョイント朗読会 〜真冬の夜の魂〜
友人の月乃光司さんが朗読会を開催します。月乃さんの笑いと毒と愛のある朗読は、もうご存知の方も多いと思います。お寺の僧侶でもある福島泰樹さんの朗読は、朗読という芸術です。詩情と哀切とユーモアをたたえた、朗読表現にぜひ一度触れていただきたいと思い、ご紹介いたします。
2月24日ポレ東レ東中野で!

福島泰樹×ドリアン助川×月乃光司ジョイント朗読会
〜真冬の夜の魂〜


失意と混乱の寒さの中で、震える者たちよ、
男たちの言葉で「暖」をとれ!
「短歌絶叫歌人」福島泰樹、
「旅の言葉、生きる言葉」ドリアン助川、
「こわれ者の祭典」月乃光司、
朗読道を歩む三人の表現者たちによる魂の癒やしの朗読会。

■日時:2012年2月24日(金)18:30open/19:00start (22:00end)
■出演:福島泰樹、ドリアン助川、月乃光司
■会場:ポレポレ坐(東京都中野区東中野4 4 1 ポレポレ坐ビル1F)
 詳細・アクセス http://za.polepoletimes.jp/
■伴奏:永幡正人(ピアニスト)、タダフジカ(ギタリスト)、田村輝晃(ギタリスト)
■入場料:予約3,300円/当日3,800円(ワンドリンク付)
■予約:03-3227-1405(ポレポレタイムス社)
    Email : event@polepoletimes.jp
    件名に「真冬の朗読会予約」、[お名前][人数][電話番号]の記入をお願い致します
■主催:月乃光司
http://sky.geocities.jp/tukino42/
☆福島泰樹(ふくしま やすき)
歌人・僧侶。「歌謡の復権と肉声の回復」をスローガンに、「短歌絶叫コンサート」という新たなジャンルを創出。自作の短歌のほかに、宮沢賢治、中原中也、寺山修司などの作品を30年以上にわたり絶叫。全国でのライブは千数百回を数える。
☆ドリアン助川(どりあん すけがわ)
創作家・道化師。1962年、東京生まれの神戸育ち。作家名、明川哲也。
大学卒業後、フリーライターを経て、1990年、ポエットリーディングバンド「叫ぶ詩人の会」を結成。世界を旅したことから生まれた言葉で歌をつむぐ。2000年同バンド解散後ニューヨークに渡る。明川哲也としての執筆活動を始める。2002年に帰国。2011年、活動の原点に戻り、リーディングを再スタート。朗読者ドリアン助川の復活である。
☆月乃光司(つきの こうじ)
作家・会社員・病気ライブ「こわれ者の祭典」代表。20代をアルコール依存症、
引きこもり、自殺未遂で無為に過ごす。精神科病棟3回入院。当事者グループで回復。
「生きづらさ」脱出のメッセージ活動を続ける。著作「人生は終わったと思っていた」
(新潟日報事業社)他。2010年新潟弁護士会人権賞、第5回安吾賞新潟市特別賞。新潟市在住。

# by flammableskirt | 2012-02-13 11:33
セロリスープ
四季のなかでは、冬が一番好きです。特に12月から1月にかけての季節、こんな寒い日の曇った窓硝子を透かした外の景色を眺めて、ぼんやりとしていると、こころのなかの雪原にしんしんと雪がふり続くようです。二〇代の頃は寂しくてやりきれなかったのに、だんだん、寂しさそのものになって真っ白になっていくような、この感じがとても平安で美しいものに思えてきた。寂しいことが苦しくなくなるのは、救いですね……。ずっと、寂しくてたまらなかったから。寂しくて恋しくて、いつもなにかを求めていた心から、解き放たれていくのは、なんという安らぎだろうか、と、この季節になると、そのことをとてもしんと思うんですね。

若い頃って、クリスマスやお正月に一人でいるのが辛かった。自分だけが取り残されたみたいで、誰かと一緒にいたくって、誰かとつながっていたくて、なにかをしていないではいられなかった。でも、そういうことにだんだん興味がなくなって、お掃除をしてきれいになった空気の澄んだお部屋で、あったかいスープを手をかけて作ったりして、それをゆっくり時間をかけて飲みながら、遠くの山に雪が降っている、そのグレイの雲を眺めているのが、心から静かに幸せでみちたりて感じるとき、ああ、生きていて良かったなあと思う。

あんなにせつなくて、人恋しくて、寂しかったわたしが、こんなふうに一人を楽しめるようになるなんて、思いもしなかったけれど、人間は変わるし、なにを幸せと思うかということも、どんどん変化していく。その変化を拒まない自分でいられたことが奇蹟だと思う。かつて、したかったことと、いましたいことは違うし、そして、これからも違うのだ。でも、いま、この瞬間にじぶんがしたいことがわかるということを、いまは幸せだなあと感じる。

静か……。とても静かな、一日でした。 セロリスープもおいしくできた。

# by flammableskirt | 2012-01-21 15:58
小田和正さんの歌詞の男性像
小田和正さんの曲は、テレビCMに使われているため、よく耳にしますが、CMでは、印象的な歌詞を切り取ってしまい、その部分だけを強調して映像と組み合わせるため、ほんとうの歌詞とは違う意味に受けとっていることに気がつきました。

つい先日「言葉にならない」という曲を、偶然に全部聞いて、この曲が別れの曲であることを初めて知ったのです。CMでは、サビの部分しか使われていないので「感動で言葉にならない……」という意味に、単純に受けとっていました。でも、違ったのですね、とても悲しい歌詞だったんだ……と。

もう心は離れてしまったけれど、だけど、この人との出会いはほんとうにすばらしくて、自分にとってかけがえがない出会いで、たくさんのことを学んで、たとえ別れてしまっても自分にとってすごくすごくいいものだったんだよ、ということを相手に伝えたいんだけど、だけど、いろんな思いがこみあげてきちゃって、ああ、言葉になんかならないよ……という、すごくせつない歌だったんだなあ……と。でも、いい歌詞だなあと思いました。

それで、自分がどれくらい誤解してこの方の曲を聞いているのか確認したくなって「たしかなこと」という曲も、聞いてみました。これもCMに使われている曲なんですが……。やっぱりかなり誤解していました。この歌詞はたいへん意味深い歌詞でした。

大好きな人がいる、この人を愛している。だけど、いまいったい自分になにができるんだろうか……と、誠実に悩んでいる男性の心情を歌っているのです。安直に「君を幸せにする……」なんて言えない。たぶん、小田さんという人はとても精神的に成熟した人なんだろうな、と思いました。大人なんだな……と。それが歌詞に出ていました。だけど、この歌詞は若い子には通じないかもしれないなあ……、20代でこの気持ちがわかる人がどれくらいいるのかなあ……とも。

この歌詞のすごいところは、「一番たいせつなこと」というのは、平凡でありきたりな毎日の暮らしのなかで、相手に対する気持ちを静かにもち続けることだ、と言いきっているのです。この広い世界であなたと僕が出会ったこの不思議、自分はその意味を探して生きる……つまり、出会いを自分の生きる意味としてとらえなおし、それを問い続ける……と言うのです。

そして、相手がどんなに辛くても、自分には側にいることしかできない、と語ります。この人は、辛さや苦しみというのは、誰かが救えるものじゃなく、自分しか自分を救うことができないってことを、わかっているんです。だから安易に相手を「助けてあげる」と言わないのです。だけど、僕は必ずあなたの傍らにいるよ、そして、僕は僕の人生を誠実に懸命に生きていし、それが僕にとって君をたいせつにするということなんだよ、と歌っているのです(この歌詞はwoh wohでした)。

「どうして、あなたが一生懸命に生きることがわたしを大切にすることなのよ?」と、若い子なら疑問に思ってしまうかもしれないなあ……と思いました。つまり、小田さんはシンデレラストーリーみたいな恋愛を、幸せのゴールって考えていない人なんです。すごく大人なんですね。それぞれがそれぞれの人生を豊かに生きること、そのために二人が出会っている……と考えているんです。かっこいいなあ!でも、こういう男の人はきっと「わたしにこと好きじゃないの? 幸せにしてくれないの?」と言われると、困って黙りこんでしまって、誤解されてふられてしまうのかもしれません……。すごくいい男なのになあ……。

こんな素敵な歌詞とは知りませんでした、これぞ大人の男だ!と思ってしまいましたが、この素晴らしい歌詞もコマーシャルでは、切り取られて、なんとなく甘い子どもの男の歌のように感じられてしまうのが残念だなあ……と。
じつにシンプルに、この有限な人生のなかで本当に人を愛するというのがどういうことなのか……、語られていて、味わい深い曲です。

それに……「自分を大切にしてね」と彼女に語りかけるのです。たぶん、この曲のなかの彼女はなにかとても辛いことがあって、自分に自信を失い、自分のことはほったらかして仕事か、あるいは家族の問題とか、そういうことで手いっぱいなんでしょう。もしかしたら、被災地のボランティアに行って、自分の苦しみと他者の苦しみを重ねているのかもしれません。だけど、そういう彼女に、この男性は、自分を大切にしてください。あなたが、他の人のことを考えて思いやるように、それと同じことを自分に対してもしてあげてね……と、優しく語りかけるのです。ああ、わかってるなあ……。

ぜんたいに、小田さんの歌詞はどこか仏教的な感じがしました。無常観と慈悲が感じられるというのかな(三曲聞いただけで断定してますが)……。というわけで、わたしはあんがいと小田和正さんの歌が好きなのだ……ということに気がつきました。特に歌詞が奥深い。小田さん自身が、とても深い体験をされている方なのかもしれないですね……。


# by flammableskirt | 2012-01-15 12:52
わたしのダンス
今年、小説を書き始めて12年目に……。
書き続けていることのほうが不思議な気がする。いつも長編を書くとき「このお話を完成できるのかな?」と不安に思いながら最初の一行を書く。私はノンフィクションもたくさん書いているけれど、だんだん、小説とノンフィクションの境目があいまいになってきた。いま、小説新潮で連載させてもらっている「サンカーラ」は小説ともエッセイとも言えないもので、連載を始める時に「どちらにしたらよいか?」と編集部から聞かれて困った。

「中間みたいなものです……」と答えて、結局小説として扱ってもらえた。明治の頃の作家たちは、小説ともエッセイとも言えないものをたくさん書いていたし、芥川龍之介などはかなりいろんなジャンルの作品を自由に書いていて、作家は昔よりも制約が多く不自由になっている気がする……。特に言葉に関しては、使えない言葉が増えすぎている気がする。

個人的にはだんだん小説のほうが好きになってきた。どうしてだろう。理由はよくわからない。小説を書きたいという思いのほうが年々強くなっている。今年も小説を書けたらいいなあ。小説はなにかがふっと降りて来ないとなかなか書けないのだけれど、それが楽しいと思えるようになってきた。

連載が苦手で、なかなか小説誌に書けないでいたのだけれど、小説が好きになってきたせいか、今年はオール読物にも読みきり連載を掲載している。「ゾーンにて」という、福島の放射能をテーマにした作品で、この連作は自分にとって初めての試みをたくさんしていて(作家にとってはあたりまえのことなので、あくまで私がいままでできなかっただけ)、書いていて小さな発見がたくさんある。

長編にとりかかろうと思っていた矢先に目の手術をしたので、執筆開始を伸ばしている。

年末に最新刊「私の愛した男について」(角川書店)を出版した。表題作は恋愛小説のつもり。他に3篇の短編を収録しているが、そのなかの「森に還る人」と「命につけし名は」に二作は、「ことば」がテーマである。

わたしたちは「ことば」をもったために、この世界を創造もできるけれど、そのことばに縛られて自由さを失ってもいる。とりわけ「ことば」による名づけによって、失われているのは「固有の体験」ではないか。ことばのもつ光と影の部分をそれぞれに書き分けてみた。もちろん、こんなことは作者の一人よがりであって、読者には関係ないことかもしれないけれど……。

「私の愛した男について」という作品の構想はずいぶん昔からもっていた。ただ、書かなかっただけで、こんな話を書きたいという思いがあった。ずいぶん昔に職場の上司と不倫をして、不倫相手の家に放火して子ども二人を殺してしまった女性がいて、その女性のことが頭から離れず、彼女はどうして火をつけなければならなかったのか、その行為から逃れる道はなかったのか……ということを考えていて、それで、この作品を書いた。

小説というのは多くが人間の心の葛藤を描いており、誰もが心に葛藤をもっているはずだが、葛藤していることに向き合わずにいる人が圧倒的だと思う。なぜなら、いまの時代には葛藤から目を反らしてくれるものが多すぎるからだ。世界にはありあまるほどの娯楽があって、暗い夜を一人で音もなく過ごすことなど、停電の日くらいだろう。それだって、携帯電話に充電してあれば誰とでも繋がれる。

被災する……という体験は、恐ろしく苦しいことではあるけれども、そのような体験を通して暗く一人きりの夜を過ごすことは、その人の人生にとってただ「悲惨なことを経験した」という以上の、自分自身と向き合う時間をもたらしてくれたかもしれないと思う。そうであればいいなと思う。困難や苦難というものには孤独がついてまわるけれど、孤独の裡にしか自分の精神にとってほんとうに大事なものとは出会えないということを、過去のたくさんの文学作品が伝えているから……。

孤独な暗い夜、一人きりの狂おしい夜というものを避けている人にとって、葛藤をテーマとした小説はたぶん無意味なのだろう。あえてそんな辛いことを誰も思い出したくないだろう。でも、やはり小説のテーマは自分の心のなかにわきおこってくる対立する衝動と、どう折りあって自分らしく生きるのか、あるいは生きれないのか、ということになっていくように思う。

わたし自身、いまだに心の裡にある対立する衝動、自分のなかの相対する二人の自分の対決に巻き込まれて、さまざまな社会的な問題と対峙するときでも、自分の心の葛藤との折りあいをつけて、冷静に考えることが難しいことが多々ある。けっきょくのところ、原発の問題も、政治的な問題も、その問題を考えているわたしの内部にある二つの意見、二人のわたしの言い分を両方聞き、そのどちらに対しても平等に扱うということでしか、外的問題にクールに対応することはできないのではないか……と思う。

そのような内的な世界を育てていくために、わたしは本を読んできたし、たぶん死ぬまで読書はわたしの社会性を支えてくれる、たいせつな修業のようなものであると考えている。自分が作家という仕事についていて、読者に対してその内的世界を育てていくような作品を書いているかどうか……、正直、自信がないが、もしこの世界に、たった一人でも、わたしの作品を読んで、なにかを感じてくれる人が存在するなら……それで最高である。

創作はわたしの自己表現であり、わたしがわたしであるという確認行為でもある。それは誰に向けて書かれたというものではないけれど、わたしの書く動機のほとんど99%を占めているのは、宇宙にわたしを知ってほしいという願望である。宇宙空間で一人でさまよっている宇宙飛行士が無限宇宙に向けて発している信号のような、ものなのだと思う。わたしはここにいます……わたしはここにいます……。

この信号は決して悲壮なものではなく、どちらかといえば、宇宙の辺境を飛行しながら、その軌跡を残しているような感じかもしれない。その軌跡の描く物語が、わたしのダンスなのだ。



# by flammableskirt | 2012-01-12 17:09
2012年もよろしくお願いします!
明けましておめでとうございます。
年末に体調を崩してしまったので、新年はゆっくりと休養をとっています。家族と久しぶりに浅草に行って来ました。浅草寺の参道はとても人が多かったけれど、いろんなお店があって楽しいですね。
修復工事も終って、浅草寺はとてもきれいになっていました。ここのおみくじは『凶』が出ることで有名なので、受験生の娘には「引かないほうがいいよ」と言ったのですが、かえって引く気満々にさせてしまいました。


護摩木に合格祈願を書く娘。


無病息災を願ってお線香の煙を頭に……。かなりお正月気分が盛り上がってきてわくわく……。


浅草なので……ポンポコ狸ロードのもんじゃ焼き屋さんに。ここのもんじゃ、おいしいんだよね。


おなかいっぱいになって外に出たら、紙芝居屋さんが黄金バットを! しかし、黄金バットって本当に正義の味方なのか?人相が悪すぎるのでは?


この冬は静養のためにずっと家にいたので、たくさんくつ下を編みました。友人にもいっぱいプレゼントした。そして、プレゼントしたくつ下の写真を撮っておかなかったので、どんなのを編んだのか自分でもわからなくなり、とりあえず家にある分だけ記録してみました。今年は毛糸の色を混ぜてカラフルで、ちょっとエスニックな感じを目指してみたよ。


3本取りして編んでいるので、ルームシューズとしては最高にあったかい!冷え性の人にはぴったり。


これは、こんやもう片方を編む予定。だいたい二時間半で足一つが編める。


今年、私が仕事場で合いようしているのは、あまり毛糸をつぎ足して編んだので、左右の色が微妙に違うけれど、そこがまたいいんじゃないか……と自分では思っています。ぬくぬく。



# by flammableskirt | 2012-01-12 16:17
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